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戦うあの子たち

大好きな女友達と深夜に久々に話したら、一気に心にブーストがかかった。女友達はかけがえのない財産だとつくづく思う。私には「戦友」としか呼びようがない女友達が何人かいる。というか、気心知れずにあれこれ話せる女友達は全員「戦友」と言っても過言でないほど、私にとっての彼女達はそれぞれの戦地で、それぞれの武器を持って、人生に挑んで戦う仲間だ。しかもこれは私の一方的な感覚ではないようで、彼女たちの口からもやっぱり「なんか、戦友感あるよね」なんて言葉が出たりする。

 私たちに共通しているのはなんだろうと考えると、負けず嫌いだったり向上心が強いが故に、理想と現実のギャップや、色んなしがらみに苦しんで闘ってたりするところかもしれない。仕事しかり恋愛しかり、自分でハードルをどんどん上げて、「乗り越えられるのか・・?」と苦しむ私たちは、完全にハンター気質で何かを手に入れることに燃える(燃え尽きることましばしば)タイプだ。あと、どこに居ても誰と居ても自分を持ってたくましく生きていける子というのも共通してるかもしれない。

私たちは頻繁に連絡を取り合うでもなく、定期的に会うわけでもない。学校とか会社とかの大きな団体の中で偶然出会って、人生の中のある一定の期間、物凄く深く濃い時間を共有して、その間はとことんお互いを信頼し合って一緒にいて、時には辛いことや困難を乗り越えて、沢山楽しいことをして、ある時期がきたら「じゃあここで!私も頑張るからそっちも頑張って!なんかあったら連絡して!」とサクッと別れてそれぞれの道を歩きだした、そんな関係だ。

時々「女子会」ではなく「近況報告会」という名の人生の進捗を報告し合う会を開く。ふわふわしたパンケーキを食べながら全然ふわふわしていない話をしては互いを激励し合う。ある時期の人生が交差して、また別の道へ分かれたとき、恋人ならそれきりだろうけど、女友達は違う。どこにいても、しばらく会っていなくても、いつも心の奥底では繋がっていて、SNSにアップされる些細な投稿ひとつで相手の状況や心境をかなり正確に感じ取ったりする。ああ今結構追い込まれてるな、とか、だいぶ強くなったな、新しい武器手に入れてる、とかそういうのを互いにしっかり把握している。

 当たり前だけど、SOSが出た時は最優先で駆け付ける。私たちは弱いから強くなりたいと思う。武装していないとボロボロになってしまうから、頑丈…
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野暮

つらつら書いた長文をそっと消した。変に綺麗な言葉でドラマティックにまとめるのは、今の私には野暮なことに思えてしまう。iphoneのメモ帳に並ぶ言葉はまるで小説の一ページみたいで、私の言葉じゃない気がして「なんか違う」と急に嫌になった。

ずっと聴いてた歌の意味は、分かったふりをして分かってなかったんだなって思う
聞き飽きるほど毎日聴いてたのに、一フレーズ目から違う風に聞こえた。
あの頃私がこの歌に心打たれたのは、こんな歌を歌う人が世界にいるなら、もう少しだけ未来を信じてみようと思ったから。出口のない日々の中で、いっそのこと、と思ったときも、この歌を聴くと、こんな風にいつか私も誰かを思う事が出来るのかもしれないから、もう少しだけ生きて大人になろうと思った。
そういうことを、最近よく思い出すのはなんでだろう。




mellow

甘くて切なくてポップでメロウ
雲の上をふわふわ浮くようなのに
ベッドルームの小宇宙みたいな
そんな音楽に出会って嬉しい

例えるなら
夏の夕方に浜辺で見る夕焼けの色
ふと思い出す遠くて甘い記憶
寝すぎたときの少しだるくて気持ちいい感じ
そいういう音楽が今は心地いい




メロディーもリリックもMVも名前を裏切らないフィリピンのアーティスト


それからこの曲に惹かれて仕方ないのに、私の検索能力でも見つからないバンド。 「The lucys」どこの国の誰なのよ



生きる工夫

6月みたいな生ぬるくてじめっとした空気に追い打ちをかけられた朝、負けたくないと思った。迷わずゆるっとしたパーカーを着たのは包まれてるようで安心するから。昨日の帰りに買ったLUSHのクリスマス限定の洗顔料で顔を洗って、久しぶりにアイラインを薄くひいて、下瞼にピンク色をのせた。駅のホームでは目を閉じてのらねこちゃん(のらねこちゃんの話 )に会った日のことを思い出して、電車では大島智子さんの描く女の子たちをぼうっと眺めたり、今日を乗り切る為のプレイリストを作ったりした。記憶から、目から、耳から、色んな「処方箋」を自分にあげていたら、少しだけ心から角質みたいなザラザラしたものが落ちていくのを感じた。こういう生きる工夫なら、小さい頃から少しずつ貯めてきた。おばあちゃんになる頃には歩くライフハックメディアになれるかもしれない。電車を降りたところで、今日を乗り切る為に必要な本を思い出して彼に「持ってきて」と頼んだ。そんなことを朝から頼める存在がいること自体、何よりの処方箋だ。自分を無条件に受け入れてくれる人の存在は尊い。家族がそうであるように、彼も「今の私のまま存在していい」と思わせてくれる。「ありのままの私が好き」とか「人生は上手くいかないから面白い」とか、そういうことを心から言えるほど成熟した人間にはまだなれていないけど、本当は楽しくないのにふわふわ楽しいふりをしているときより、どっぷりと辛さに浸る方が私は生きている実感が沸くのはなぜだろう。今日の朝より苦手なのは、楽しくなかったなあと思いながら歩く朝帰り。あんなのは人生で何回か経験すれば十分だと思う。それより、眠れないなあと途方に暮れながら朝を迎える方が私には合っている。
さっき頬に触れたら、朝使ったLUSHの洗顔料のおかげか、昨日より肌がなめらかになって、それだけで少し嬉しくなった。昨日の私がボロボロになりながら「明日の私のために」としてくれた少しの工夫は確実に今日の私を助けてくれている。自分の人生がちっぽけに思えて嫌になった昨日に比べたら、左の頬の滑らかさを好きだと思える今日はずっとましだ。


眩しい

眠気と煩わしさの区別がつかない。カフェインの錠剤は口に放り込んだ瞬間気が変わって、ガムみたいに紙に吐き出して捨てた。急に全部がくだらなく思えてしまうのは周期の問題?同じ歌が頭の中に延々流れる。「帰ってきたら教えてね東京で待ってるから そんな安っぽい言葉で繋ぎ止めようとした」適当につけたような軽い空気を含んだ名前で、心のドロドロした部分を叫ぶのは、彼女なりの予防線かもなんて、勝手に想像している時点で彼女のブランディングの策にはまっている気がする。彼女の何が好きって、汚く見られてもあざとく見られても、たとえ大多数に否定されても、自分の欲しいものを取りに行くところ。一見なりふり構わずやってるようで、美学があるところが格好いい。誰にも触れられない二十歳の才能、眩しくて羨ましくて、嫌になる。

本当は周期の問題じゃない。ただ今に意味を見出せてないだけって気づいてる。ずっと考えてはいるけれど、もうすぐ25歳になるから余計に気持ちが落ち着かない。今まで何も残してこなかったわけじゃないのに、何も残してこなかったような気がして、何かにあたりたくなるくらい、むしゃくしゃする。もっともっと追求したい、もっと知りたい、だんだん鈍くなっていく自分がこわい、過多くらいでちょうどいいのに。でもこの感情をまだ持てるから私は私のままでいれる。この野心もなくなってしまったら私には本当に何もない。今は感覚を頼りに生きていたい。すぐに答えが出なくてもいいから、表現だけをし続けたい。振り切って消えてしまうくらい強い気持ちだけを燃料にして前に進みたい。全部の音がうるさくて、今すぐここを飛び出したい。余計なものが多すぎて耐えられない。


息苦しさ

また11月がやってきた。秋になって呼吸が楽だけど、常に団体の中で作業をしているだけで、少しずつ少しずつ、ネジがサビ始めているのを感じる。

もう今月で25歳になるっていうのに、夜になると不安になってまだ子供みたいに丸くなって寝てしまう。心の底のゆらゆらした不安は当たり前のようにずっとある。少し気を抜くと、またお風呂場でゴミのようにうずくまっていた日々に戻ってしまうのを知っているから、必要以上に気を張って、まるで戦闘モードのような気持ちで会社へ向かう。取り繕ったり、見栄を張るのだけはどんどん上手くなって、変に言葉を綺麗にまとめて「大丈夫」の皮ですべてをくるみ込む術も覚えた。

ずっと「楽しい」「まだ頑張れそう」と言っていないとダメになってしまいそうだ。

頭に流れてくる思考や心に押し寄せる不安にどうしようもなくなって好きな人の胸に顔をうずめるとき、もうこのまま子供に戻れたらいいのにと思う。弱いところも見せていいよと彼は言うけれど、私はこんな自分が弱いか強いかも分からない。ただ行き場のない感情がずっと猫みたいに私についてくる。私はその猫を膝に抱えたり、距離をおいたり、時々一緒に眠ったりして過ごしている。

世界はしょっちゅう息苦しい場所になるし、いちいちそれに立ち止まっていたらどうしようもないから、たくさん嘘をつきながら朝と夜をリレーする。
人に良い影響を与える人間でありたいと願えば願うほど、無性に自分のことが気に食わなくなる。明日をもっとよくしようと思えば思うほど、朝がくるのがこわい。

黄色い蛍光灯は息苦しさを加速させる。電話の音は心臓に響く。電車の中で不意に泣きたくなる。もう戻らない、もうあの毎日には戻らないぞと抗うことにも疲れてしまう


moon riverを渡るようなステップで

自分が正しいと思ったことを突き通すことは本当に厳しくて難しい。多数決で「正しくない」とされたらただ道を逆走するだけの人になってしまうし、それが辛くて本当は「こっちが前だ」と確信しているのにUターンして自分に「いや、こっちが前」と言い聞かすしかないとしたら、いつかふと来た道を振り返ったときに果てしない後悔に飲み込まれてしまいそうだ。人は私に「そんなに戦って自分がつぶれたら意味がないよ」「そんなことしても世の中察しよくないからね」なんてことを言うけれど、その果てしない後悔を私は誰のせいにもしたくない。自分が最良だと思った選択ならば、10年後、20年後に、それがとても浅はかで幼い判断だったと気付いたとしても、過去の一生懸命だった自分を肯定してあげたいと最後には思えるだろう。誰かの価値観で自分を上書きして生きていける人が世の中では「真っすぐな人」なのかな。