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蹴伸び

ここを開くといつもほっとする。しかめっ面して好きじゃない仕事に追われる自分はあまり好きじゃなくて、無茶苦茶に自由にやっている自分の方が好き。

好きな人が何人いたっていいし、仕事に手を抜いてもいいし(但し全部自己責任という覚悟のもとで)、突然旅に出たっていい。

熱く仕事論を語った後に、突然辞めちゃうような私でいい。

誰かの顔色を気にして自分をすり減らす時間はもう十分過ぎるほど過ごしたから、好きなことを全力で思いっきりやっていきたい。なんでか分からないけど、私はどこでも何しててもやっていける自信がある。

たとえば今ここにいる人たちにとても冷ややかな目で見られても、信じてくれて愛してくれる人がいるって私は知っているから、特に何にも怖くないのだ。

怖いのは突然死んでしまうことだけ。あとは何にも。

大きなプールの端っこに立っている人たちなんて置いて、ぽーんって壁蹴ってすいーって真ん中に出ていきたい。

近い友達に無責任って言われたことあるけど、私は全然それでいい。じゃああなたが私の人生に責任持ってくれるの?って話。

あれもこれも全部に責任感じてたら楽しく生きていけないよ。自分の選択にさえ責任持ってればいい。


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14番目の月

「あなたの気持ちが読み切れないもどかしさ
だからときめくの
愛の告白をしたら最後 そのとたん終わりが見える
言わぬが花 その先は言わないで
次の夜から欠ける満月より14番目の月がいちばん好き」
14番目の月/スピッツ

青春ごっこみたいな14番目の月の夜
先のことを何も考えずにいられるぎりぎりの私
十五夜は雨だから14番目の月を見ておきたかった
厚くて速い雲間から覗く月は明るくて
こんな日々がいつまで続くんだろうと思った

「ほら月明かりが
長い夜に寝付けない二人の額を撫でて
まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実頬張っては月の裏を夢見て
笑っておくれダーリン素晴らしい夜に
僕の短所をジョークにしても眉をひそめないで」

エイリアンズ/キリンジ


命を燃やす人

もう一年近くが過ぎるのに、雨宮まみさんが死んでしまった衝撃は、今も私の心に引っかかったままだ。

「書きたいことが書きたい。いい文章が書きたい。お金とかそういうことじゃなくて、これが私ですと言えるような、そういう文章をひとつでもいいから書きたい。そうじゃないと、人生なんてあっという間に終わってしまう。(略)嘘をつくのはやめよう。対外的にいい顔をするのはやめよう。できもしないことを、無理してできるふりをするのもやめよう。今年だけでもいい、嫌なことは嫌だと、できないことはできないと言おう。私は、私の人生を生きる。だって、もうそんなにたくさん残ってるわけじゃない。まだ若い、けれど、永遠に続くわけじゃない。生命自体は続いても、体力も気力も充実していると言える期間がどれだけ続くかわからない。私は、私のしたいことをする。私は、自分の書きたいことを書く。そして私は、なりたい私に、本来そうであった生身の私になるのだ、と思った。」引用:「40歳がくる!」より

自分の書いた言葉かと思うほど、私は雨宮さんとある部分の思考が似ている。似ているから彼女の文章が好きだった。命を燃やして紡ぐ言葉が好きだった。雨宮さんが突然死んでしまったとき、やっぱり人生はふいに終わってしまうのだなと、したくなかった答え合わせをしてしまったような気持ちになった。

それでも私は命を燃やして作る人が好きだ。雨宮さんがもう言葉を生み出すことがなくても、雨宮さんの書いた言葉に私はこれからも何度も救われる。その言葉は時間とともに私にとって意味を変える。雨宮さんの声はずっと生き続ける。命を燃やし身を削って何かを生み出すことは死へ向かうことではないと思いたい。命をそこに乗せられるだけの想いがあるということ。それは時間を超えて届くということ。そういう音楽や舞台や言葉が持つ力に私はいつも引力のように吸い寄せられる。国や時代に関係なく、深く共鳴する。太宰、ゲーテ、サガン、ビルエヴァンス。そういう自分の心の真ん中に容赦なく入ってくる音楽や言葉。雨宮まみさんの叫びのような文章もそうだ。星野源が日本中に届けようとする丁寧な言葉や穏やかな優しさ、野田秀樹が狂気的に生み出す舞台の上の爆発的なエネルギーと、そういう人が私の情動を動かす。

死んでほしくない人達。ずっと発信し続けてほしい人達。雨宮まみさんもそうだった。だから私は今も雨宮さんの言葉が聞きたく…

冷えた朝の空気とか

どうでもいい惰性の恋愛なんて耐えられない。それならひとりで本を読んだり映画を観たりしてあれこれ考えてる時間の方がずっと豊かな気持ちになる。お互いがいないとダメになってしまう恋愛も友情も楽しくない。自立したひとりずつが手を取り合ったときにもっと大きなエネルギーになる方がワクワクするから。恋愛とか、彼女とか、親友とか、形式の言葉が苦手。

確かに、意味のないものなんてひとつもないんだけど、どうでもいいものは本当にどうでもいいと割り切る勇気を私は持ってたい。私が大切だと思うものは、人がどうでもいいと笑っても絶対に大切にする。冷えた朝の空気の中で考え事をする時間とか、髪の毛のサラサラする調子の良さとか、私が好きなものは私がちゃんと大切にする。




私の大好きな星野源は「くだらないの中に愛がある」と歌うけど、それは彼が日常に本気で向き合っているからこそ気づける尊いもの。


いつだってふいに死んでしまうのが人間だ。生きている意味をもっともっと感じたいから生きている。「考えすぎだよ」と言われても、思考することをやめられない。「些細な日常の幸せに人生の意味はあるんだよ」と言われても、テンプレのそれを得て満ちたりた気持ちになるなら野心と夢をちゃんと形にするまで満たされてたまるか、くらいの気持ちでありたい。自由に身軽に生きてたい。でも分かち合いたいし寂しいのは嫌だ。矛盾だらけの私でいたい。明るく朗らかにのびのびと生きられる場所に住みたい。綺麗になんてまとまれないし、物分かりの良い恋人にも娘にも部下にもなれなくていい。私は自分が惹かれたものを信じて、それを大事にする。恋愛も会社も家族、私が選んだ大事なもの。それは鎖じゃないから、私はいつだってどこにでも行ける。

生き急ぐ。

自分の生き方を思う時、浮かぶ言葉がふたつ。「刹那」と「生き急ぐ」。相反する言葉かもしれないけど、それはぴったりくっついて、私の中にいつもある。刹那は、今が一秒でも失われることを惜しむ気持ち。いつだって夢みたいな一瞬が過去に変わっていくことが惜しいし、その一瞬から自分が振り落とされていくのは悔しくて悲しい。だけど同時にあるのは生き急ぐ気持ち。脇目もふらず前へ前へと進んでいきたくなる。何の変哲もない日常の中に、人生の意味や答えが見つかるかもしれないのに、つい、それとは違うものが欲しくなってしまう。



悩むふりや愛すふりなんてしている時間は私にはなくて、いつだって本質が知りたい。その人の芯の部分、その仕事が存在する意味、そういうものが知りたい。涼しい部屋でずっと寝て起きて心地良い感覚だけを味わうとき、自分が死に近づいていくのを感じる。痛かったり苦しかったり、悩みもがいて、何かを得たとき、ああ生きているなって思う。クロールの息継ぎみたいに必死に泳いで、苦しくなって思いっきり酸素を求めるとき、生きていることを感じる。


今しかできないことがしたい。遠くまで行きたい。濃くて強くて気が遠くなるような感覚に「これ以上の人生はあるかな」と思ってみたい。明日死んでしまうとしたら、私は何処にいて誰といたいんだろう。近頃はずっと、そんなことを考えている。

眠気

夏風はもうすっかり秋風に変わった。9月が終わっていく。 私はずっとあくびをしていて、下瞼にたっぷり溜まった眠気に揺られて、いつまでも溺れていた。脳と視界がくらくらして手足はポカポカとあたたかく、少しダメになっている自分がそこにいた。恋ってこういうものだったかな、なんて記憶を辿りかけてやめる度に、どうしようもなく「今」しかないと気づく。



金木犀は月曜日の大雨で花を落としてしまったのか、もう香らない。一瞬だったなあ。好きな人と嫌いな人が色濃く分かる季節に、欠点なんて愛せるか愛せないかの問題だなと思う。長い人生(もしかしたら短いのかもしれないけど)で考えたら、そこに悩んでいる時間はとても勿体ない。あれもこれも欲しくて時間も体力もお金も足りない24歳。25歳は一体どんな1年になるんだろうと気になるけれど、25歳の1年よりもお昼休みまでの45分間をどうやり過ごすかの方が今は重要だ。

こんなに眠くて生きていけないと思った次の瞬間、すっきり目が覚めたりする金曜日。デスクでうとうとして、ああいけないと目を開けると服から彼の匂いがする。あと30分。30分経ったら眠って外へ行く。私たちは自分が思うよりずっとずっとたくましい。



文通

私はひとりが好きで、その人はひとりが嫌いで
それなのにお互いを選んだから、私たちは分からないことだらけだ

なんだか文通みたいだなと思う
拝啓好きな人、の手紙にはこんなことを記す


・ひとりが好き
・だけど自分のことを知ってほしい
・愛情を大きく伝えるのが苦手
・恋には賞味期限があると思っている
・生き急いでしまう
・生活がだらしない
・とても意地悪な面がある
・秋冬は生きていることが楽しい

その人からも返事が届く
ここは同じ、ここは違うね、こんな面もあるよ
私はそれを読んでまたお返事を書く。

今はまだ1,2通のやり取りしかしていないけど
ずっと繰り返していくことができたら、出会った意味を見出したりするのかもしれない。少し逃げ出したくなったりしながらも、厚みを増していく受け取った手紙の束が私に色んなことを教えてくれるのかもしれない。



「私たち」なんて言ったって、それは私とあなたの他人同士。
私以外はみんな他人だから、分かったふりはしたくない。
25年一緒にいる家族のことだって、今もまだ分からない面がたくさんある。

あなたの引き出しに入る手紙には、優しくて嘘のない言葉を書きたいと思う。
レシートの裏に油性ペンで殴り書きしたみたいな優しくない言葉を投げつけられた日も、そっと引き出しからあなたの手紙を取り出して読みたいと思うから、私の手紙もそういうものであってほしいなと思う。

始まったばかりの文通、一通一通を大事にしよう。誰かに踏まれても、破られても、たったひとりにちゃんと届けばそれでいい。