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結果


芥川の翻案小説、授業で選ばれた。

ふたつ選ばれた作品のうち、ひとつが全文掲載、もうひとつは冒頭二ページのみ。
後者が私の作品だった。

試行錯誤して書いた作品が、たった二枚の中途半端なものになって配られているのが、すごく悔しくて。

でも講評聞いて納得した。
自分でも書いてるときに違和感を抱いてた部分を指摘されたから。
『翻案として成り立っていない。オチがこうなる答えがない。』
まさにその通り。

全文掲載の子の課題の講評はこうだった。
『ストーリーをほとんどいじらずに書き上げたのが良かった。優等生的な作品。』

確かに私とは真逆の作品だった。

私はアレンジ加えすぎてもはや完全オリジナルみたいになってたから。(笑)

そもそも書いてるときに”翻案とはどうあるべきか“なんてことを考え出す時点で私は駄目なのかも。

でも、そんな私の作品が二ページでも選ばれたのも事実。
その子の作品いっこだけでいいのに。

それについても話してくれた。

『翻案にはなってないけど、雰囲気や細かい描写が僕の好みだった。言葉選びのセンスもいい。書き出しを読んだときに、“あ、いいな” と思った。』

って。授業終わりに先生のところに行ったときも

『この描写とかこれとか僕は好きなんだよね。芥川っぽさも出てる。』

って言って貰えた。

で、気付いた。

私“雰囲気”の翻案してたのか・・・!って。

“っぽく”書くの得意っていうか癖なんだよね。
だからこそ自分の言葉で書くように意識してるけど。

川上弘美っぽく、とか、よしもとばななっぽく、とか
真似することならいくらでも出来る気がする。

でもそれはやっても意味がない。意味のない特技。


でも、ストーリーがめちゃくちゃでも“芥川っぽさ”が出てたことについてと
作品の文章が褒められたことはすごくすごく嬉しかった。

反省点だらけの結果になったけど、“良い失敗”だったと思って次頑張る。

失敗なんていくらでもするつもり。

これも一歩にカウントして次の一歩を頑張る、
















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野暮

つらつら書いた長文をそっと消した。変に綺麗な言葉でドラマティックにまとめるのは、今の私には野暮なことに思えてしまう。iphoneのメモ帳に並ぶ言葉はまるで小説の一ページみたいで、私の言葉じゃない気がして「なんか違う」と急に嫌になった。

ずっと聴いてた歌の意味は、分かったふりをして分かってなかったんだなって思う
聞き飽きるほど毎日聴いてたのに、一フレーズ目から違う風に聞こえた。
あの頃私がこの歌に心打たれたのは、こんな歌を歌う人が世界にいるなら、もう少しだけ未来を信じてみようと思ったから。出口のない日々の中で、いっそのこと、と思ったときも、この歌を聴くと、こんな風にいつか私も誰かを思う事が出来るのかもしれないから、もう少しだけ生きて大人になろうと思った。
そういうことを、最近よく思い出すのはなんでだろう。