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思考と本能。



昨日の夜中はお友達と
「人間は本能と思考の両方を持っているから複雑だ」
というお話をしていました。(笑)

「人間は考える葦である」
だからこそ後悔をする生き物なんですね。

これは哲学科のお友達に言われて気付いた。

どうしても私は浪漫主義で概念的な見方をしてしまうから、
こうやって違う切り口からの見方を教えてくれる人と話すのがとても楽しい。

私は「歌う」とか「演じる」の本質を考えるとドキドキする。

人は歌わなくても生きていける。
演じなくても生きていける。
もっと言ってしまえば、言語がなくて人間は生きていける。

だって“コミュニケーション”は人間の三大欲求ではないから。
コミュケーションがなくても体は機能する。

でもそれじゃあ人間の“情動”は収まらない。

きっと最初は音だった。
抑えきれない情動をなんとか形にしたくて、音を鳴らしたはずだ。
そしてその後、うめき声や笑い声、泣き声なんかも生まれたんじゃないかな。

でも目の前にいる人にもっと多くの感情を伝えたい、知りたい、
「もっと、誰かと関わりたい。」
そんな情動から言語が生まれたのだと思う。


歌も、演劇も、
メッセージよりも情動がもとにあって生まれたものだと思う。
そのあとそこに歌詞やテーマをのせてメッセージになっていったのが今だけれど、
なんもかんも、全部核は“情動”じゃないかと思うのです。

だから私は“情動”で芸術を始めたすべての人に惹かれる。

強い情動から生まれた作品って、その作品に触れた人の情動も喚起すると思う。

そこに思考やら感性やらくっついて良いものが出来ていく。

芸術って素敵



情動ありきで、感性やら技術、何より経験を育てていきたいと思います。
経験は思考じゃ補えないもんね。見て聞いて感じて話して触れて。
そうじゃないと気づけないことは沢山ある。それは価値のあるもの。

だから自分の足をちゃんと動かして世界に飛び込んでいきたいな。








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意味

人間はとても勝手な生き物で、何に対しても「意味」を見出してしまう。起こる全てを都合よく正当化してしまうのだ。それは私も例外ではなく、自分の人生に起こること全てには意味があると思っている。なぜなら私は愚かな生き物だからだ。

大学最後の年に出会ったその人は、私に何度もこう言った。

「結末を正当化するのはやめろ。自分の望んだゴールに辿り着かなかったときに、これで良かったんだと正当化する奴は一番愚かだ。そういう人間は絶対に成功出来ない。成功する人間は望むゴールをしっかり見据えて、そこから論理的に逆算している。そうすれば自分が取るべき人生の選択が見えてくる。ゴールから逆算しろ。辿り着いた場所が自分の人生だと思うな。そんな大人になるな。」

22歳の私はまだ本当の社会を知らなくて、おまけに誰が見てもその人に心酔していたから、その言葉を真摯に自分の人生に組み込もうとした。それが仕事や課題ならよかった。締切のある仕事や短期間の目標に対して「逆算」はとても役に立つ。なぜならゴールが明確だから。けれどその人は「人生を死から逆算しろ」と言った。死なんて、いつ訪れるか知る由もないのに。だけどその考えに私は共感したし、その言葉に気付かされたことは多い。

そして卒業してもその考えを強く抱いていた私は、次第に思い描いたゴールと離れていく自分に対して「私は人生に失敗しているのかも」と暗く不安な気持ちを抱き始めた。そんな時、「いやいや、でも今は今で・・」と思いそうになれば、脳の中で「今を正当化するな」という言葉が聞こえてきて、その度、自分に言い訳をして今を正当化しようとする自分を弱くてずるい人間だと思った。私を奮い立たせていた勇気の言葉は、いつしか私を追い詰める呪いに変わっていた。私は自分がその人が蔑む「そっち側」の人間になってしまったのだと落ち込んだ。だからその人に何度「飲みに行こう」と言われても、今の自分に自信が持てずに、適当な理由をつけては断った。

今はどうかというと、もはや描いていた「社会人2年目の自分」がどんなものだったかもあまり覚えていない。この2年間、予想していないことばかりが起こった。気持ちも、世界の見え方も、毎日変わる。最低な1日があれば、最高な1日もあって、浮き沈みの激しい自分に苦しむ日々だ。全然満足いかない現状が、どうしようもなく嫌になったり、なんでもない休日の朝がどうしよう…