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また別のお話。


一個前の記事は私の叫び。

でもね、前へ前へって思う気持ちのどっかに割れ目があって
そこから“不安”とか“恐れ”が忍び込んでくるんだよね。

だって“考える”ことを追求することは
幸福に満ちているだけじゃないんだもん。

“時間”とか“死”とか、そういうのを切り離して物事を考えるなんて不可能で。
だって生きて考えている以上、それは絶対くっついてくるものだから。

もうね、ほんと怖い。とっても怖い。


思考をどんどん深めていくと頭がぽかぽかあったかくなってきて
本能的な欲求がすっごい満たされていくのを感じるんだけど、

時間をおいて漠然として恐怖感もやってくる。必ず。


でも、それ昔からだなって思う。
小さいときから何かが怖かった。
あと、しょっちょうセンチメンタルな気持ちになった。
センチメンタルとか感傷とかそんな言葉も存在も知らなかったけど、
そういう気持ちにしょっちゅうなった。それで、あんまりそういう気持ちは好きじゃなかった。



それでちびっ子の頃から漠然と
「歳とりたくないなあ、ずっとこのままがいいなあ」って思ってた。

でも「ずっとこのまま」を想像すると、それも恐ろしかった。



時間の流れが怖いのかな。死ぬのが怖いのかな。
何かがすっごく怖いんだよね。変化?


永遠も恐ろしいし、刹那も恐ろしい。

生きてることからは絶対絶対逃げられないし、
自分の本能はやっぱり生まれつきだし。


よく分かんないけど、
今自分が求めていることを追求して生きていくとしたら
とんでもなくハッピーな気持ちと一緒に
とんでもなくブルーな気持ちも
抱き合わせにして生きていかなきゃいけないんだなーって思う。

みんなそうかな、そうだよね、たぶん。









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意味

人間はとても勝手な生き物で、何に対しても「意味」を見出してしまう。起こる全てを都合よく正当化してしまうのだ。それは私も例外ではなく、自分の人生に起こること全てには意味があると思っている。なぜなら私は愚かな生き物だからだ。

大学最後の年に出会ったその人は、私に何度もこう言った。

「結末を正当化するのはやめろ。自分の望んだゴールに辿り着かなかったときに、これで良かったんだと正当化する奴は一番愚かだ。そういう人間は絶対に成功出来ない。成功する人間は望むゴールをしっかり見据えて、そこから論理的に逆算している。そうすれば自分が取るべき人生の選択が見えてくる。ゴールから逆算しろ。辿り着いた場所が自分の人生だと思うな。そんな大人になるな。」

22歳の私はまだ本当の社会を知らなくて、おまけに誰が見てもその人に心酔していたから、その言葉を真摯に自分の人生に組み込もうとした。それが仕事や課題ならよかった。締切のある仕事や短期間の目標に対して「逆算」はとても役に立つ。なぜならゴールが明確だから。けれどその人は「人生を死から逆算しろ」と言った。死なんて、いつ訪れるか知る由もないのに。だけどその考えに私は共感したし、その言葉に気付かされたことは多い。

そして卒業してもその考えを強く抱いていた私は、次第に思い描いたゴールと離れていく自分に対して「私は人生に失敗しているのかも」と暗く不安な気持ちを抱き始めた。そんな時、「いやいや、でも今は今で・・」と思いそうになれば、脳の中で「今を正当化するな」という言葉が聞こえてきて、その度、自分に言い訳をして今を正当化しようとする自分を弱くてずるい人間だと思った。私を奮い立たせていた勇気の言葉は、いつしか私を追い詰める呪いに変わっていた。私は自分がその人が蔑む「そっち側」の人間になってしまったのだと落ち込んだ。だからその人に何度「飲みに行こう」と言われても、今の自分に自信が持てずに、適当な理由をつけては断った。

今はどうかというと、もはや描いていた「社会人2年目の自分」がどんなものだったかもあまり覚えていない。この2年間、予想していないことばかりが起こった。気持ちも、世界の見え方も、毎日変わる。最低な1日があれば、最高な1日もあって、浮き沈みの激しい自分に苦しむ日々だ。全然満足いかない現状が、どうしようもなく嫌になったり、なんでもない休日の朝がどうしよう…