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野村萬斎「マクベス」


3/4. 世田谷パブリックシアターにて
野村萬斎演出.出演 「マクベス」観劇



マクベス夫妻、そして三人の魔女の5人のみで展開されるこの「マクベス」。
能狂言の手法を用いた演出で、野村萬斎が自身初の世界ツアーに向けて創った舞台だ。


萬斎版『マクベス』の中で魔女たちがマクベスに運命という呪いをかけたように、私たちも繰り返される同じ言葉によって呪いをかけられているようだった。「綺麗は汚い、汚いは綺麗。」それは呪いというより毒かもしれない。遅効性の毒はじわじわと効いていき、観客の心に影を落とす。

速効性の毒は、魔女たちの奇妙な踊りだ。
リズミカルで滑稽な踊りと、鬼気迫るほど荒く激しい踊り。
「もう逃げられないぞ」と言わんばかりの迫力だった。

どんな美しい場面にも毒が寄り添っていて、色鮮やかな和の衣装も美しく毒々しい。
特にラストシーンは、日本の自然美への畏怖の念を感じるほどに美しく残酷だった。

言葉と身体
西洋と東洋
能狂言と演劇

異質なものを共存させて魅せる。
それがこの野村萬斎版「マクベス」の魅力だと思う。

今日から始まる韓国公演、そしてニューヨーク公演、
海外の観客はどのような反応をするのだろうか。
野村萬斎という人物を知らない観客も沢山いるだろう。

けれど「マクベス」という普遍的なテーマを語った古典を骨組みに、
そこに日本の美や野村萬斎の解釈を肉付けしていくことで
どんなに隠れても作品の中に「野村萬斎」の心は現れてしまう。

観客はそれを感じて考えればいいのである。
「野村萬斎」に関する文字面の情報は、あってもなくてどちらでもいいのだ、と私は思う。


正直私もこの舞台を観るまで野村萬斎についてほとんど知らなかった。
狂言というのは由緒正しい家系のもとに受け継がれる伝統で、その中にいる人たにより固く守られているものだと認識していた。

けれど、野村萬斎は狂言を新しい形で表現し、さらに世界へ発信していこうとしている。

いつだって舞台には、予想も印象も超えていくような凄い人物が立っているのだ。




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