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kotoba.




本にうもれて死ぬのは嫌だけど

あんまりにも素敵な言葉に息が止まってしまったら

それはそんなに、悪くはないかも。


でも 息が止まる前にもっと素敵な言葉を
見つけたり、紡いだり、それから包んだり飛ばしたりしたいから

やっぱりそれは、良くないな。

それに

私が知っている言葉よりもっともっと素敵な言葉がこの世界には沢山あるわけで。
他の国の言葉のことなんて、全然知らないわけで。

「あいしてる」より愛しちゃってる表現があるかもしれない
「おいしい」よりほっぺが落ちちゃう表現があるかもしれない
(ほっぺが落ちちゃうっていいことば)

もしかしたら

名前を知らない色もあるかもしれない
名前を知らない感情もあるかもしれない


日本語では名前を与えられていないけれど
他の言語では名前を与えられているものが沢山あるかもしれない


名前を与えられていないから
私たちはそれらを認識できていないだけかもしれない

ということは

私たちの世界にはあるのにないものが沢山あるってことかな
あるのに、ないもの。
あるのに、見えないもの。


名前がついて人間になるわけじゃないけれど、
名前がつかなかったらそれは、誰

あなた わたし きみ かれ かのじょ

それも名前

ひと

それも名前

名前がなくても確かにそこに存在しているのに
名前がないから私たちの世界に存在しないものもある。

良いとか、悪いとかじゃなくて、

私たちは、言葉に少なからず支配されている

わたしは言葉が好きだから
自分の世界を少しでも今より豊かにするために、
もっと沢山言葉を知りたい

きっとそれが言葉じゃない人もいる
音楽とか 絵とか お洋服とか いろいろ。

でも私は言葉の世界、好きだから
支配されるのも悪くないって思う

名前がないなら、つける。


とびっきりの、息が止まるほどの素敵な名前を、言葉を、

知り尽くすまで、息は止められない。







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2017年に起こってよかったこと。

「今年を漢字一文字で表したら疲労の「疲」しかない」 昨年末、友人や家族と1年を振り返るような話になったとき、私はそう言った。
いつも狂ったように「前向きでいたい!」と自分を鼓舞して生きている人間の私にとって、こんな発言を自らするのは本来屈辱的なはずだったけれど、私の心情はいたってフラットだった。
だって、疲れたのだから。
それはこの1年の否定でも肯定でもなくて、ただただ、私が抱える事実だった。
2017年の元旦の夜の私には未来への期待しかなかった。 「今年は絶対変わるんだ、毎日をキラキラさせて夢に邁進するんだ」 という炎のような野望を抱いて、それを燃料にしてやみくもに前へ前へと動いた。
元旦の日も、寝正月なんてするもんか、と「今から初詣行こうよ!」と日も暮れたころに地元の親友を呼び出して鶴岡八幡宮で初詣へ行った。人生で初めて書く絵馬には「人生を自分で切り開く」と書いた。それから夜遅くまで鎌倉のカフェで互いの近況と今年の抱負を語り合い、帰路につくころにはすっかり心のエンジンがかかっていた。
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2017年最初に書いたブログ
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まるで思い通りにはいかない1年だった。 挫折…