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嬉しいとか楽しいとか





単純だけど絶対的な気持ち。

それが熱をもってるあいだは
どんな冷や水をかけられても大丈夫。


それでもやっぱり

褒められたい気持ちというのは
どうしたって隠しきれない

問うな教わるな、と言われても
あれもこれも聞きたくなってしまう

でも“正しい”は本当に人それぞれ

だから
せめて自分の中では“正しかった”と思いたい。


自分で選んだ瞬間が
後悔しない今に繋がったら
褒められても褒められなくても、
十分意味のあること。




今は帰り道に幸せな気持ちでいられればいいんだ。






Comments

  1. 人によって、正解は異なります。

    例えば、好きな音楽、好きな趣味、好きな食べ物。

    どれ一つとして、人とは違います。

    でも、食べ物で「おいしい!」って思えれば、その人にとってそれが正しい事なのです。

    そう。幸せな気持ちで体が軽いと思えればそれで良い。

    身体が重く感じて、心が折れて、一歩も動けない(動きたくない)と思えるようになってしまうと、そこから立ち上がるのにはものすごい勇気と、体力が必要です。

    君にとって、楽しい事でも、僕にとっては「つまらないなー」と感じてしまう事もあると思う。

    でも、一瞬でも、他人の「この人のこの部分は良いな!」と思える事一つを自分に吸収して真似が出来れば、成長する。

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2017年に起こってよかったこと。

「今年を漢字一文字で表したら疲労の「疲」しかない」 昨年末、友人や家族と1年を振り返るような話になったとき、私はそう言った。
いつも狂ったように「前向きでいたい!」と自分を鼓舞して生きている人間の私にとって、こんな発言を自らするのは本来屈辱的なはずだったけれど、私の心情はいたってフラットだった。
だって、疲れたのだから。
それはこの1年の否定でも肯定でもなくて、ただただ、私が抱える事実だった。
2017年の元旦の夜の私には未来への期待しかなかった。 「今年は絶対変わるんだ、毎日をキラキラさせて夢に邁進するんだ」 という炎のような野望を抱いて、それを燃料にしてやみくもに前へ前へと動いた。
元旦の日も、寝正月なんてするもんか、と「今から初詣行こうよ!」と日も暮れたころに地元の親友を呼び出して鶴岡八幡宮で初詣へ行った。人生で初めて書く絵馬には「人生を自分で切り開く」と書いた。それから夜遅くまで鎌倉のカフェで互いの近況と今年の抱負を語り合い、帰路につくころにはすっかり心のエンジンがかかっていた。
家までの道を月を見上げて歩きながら、ふと「今年の一曲を決めよう」とapple musicの曲をシャッフルした。シャッフルをタップして、間髪入れずに力強いピアノのイントロが流れた瞬間を、私は一生忘れないと思う。
その一音目は私の脳天を直撃して、脳と心を震わせた。
思わず立ち止まって目を見開き、息を飲むほどその曲との出会いは衝撃的だった。
「素晴らしく好きな曲に出会ってしまった」と思った。
その夜書いたブログも残っている。
2017年最初に書いたブログ
そもそも、その曲をダウンロードしたのは「スターウォーズ・ローグワン」を見に行った日本橋の映画館に貼ってあったポスターにやっぱり同じような衝撃を受けたからだった。
「何このポスター、好き!」と思って、サントラをダウンロードした。それを初めて聞いたのが元旦の夜だったのだ。
親友との楽しい会話の余韻と、リズミカルな美しい音色、空には月や星が輝いていて、元旦の夜の澄んだ空気からは幸福と希望の匂いしかしなかった。駆け出したいほどの高揚感を抱いて、私は「最高の夜だ、最高の1年にできる」と確信した。お酒も入ってなかったし、恋人とも別れたばかりだったけれど、最高に晴れやかな気分だった。
だから疲れたのだ。
まるで思い通りにはいかない1年だった。 挫折…