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詩じゃない。詩が何かもわからないけど。





   綺麗なことばっかり言おうとすると
何も言えなくなってしまうと気付いた。


綺麗なことばかり言うひとを
つまらないなどとは思わない。


毒気のあることばかり言うひとを
お洒落だとも思わない。

素直なひとを
羨ましいと思う。


私は、私が思うより
もっと言いたいことが沢山ある。

だけど
綺麗なことばかり言おうとするから
何も言えなくなってしまう。

言いたいことが
全部綺麗なものなわけなくて
全部綺麗じゃないものなわけもなくて

引き出しをひとつずつ開けていけば
ぐちゃぐちゃの棚もあるのに

見栄っ張りだから
片付けてから見せたくなってしまう。

たとえば

理屈っぽいわたしと
見栄っ張りなわたしが

素直なわたしと

喧嘩しあって

“寂しがり屋なわたし”なんて言葉
使うことすら許してくれない。


“さみしがりや”なんて
こんなにださくて格好悪い言葉はないと
思っているから。



そうして
言い換える言葉も見つけられなくて
黙ってしまう。


沈黙で何かを語れるほどの人間ではないのに。


いまだってこの続きに
何か綺麗なまとめをつけたくなってる。


でもそれは
私が思ってる言葉じゃない。


だから黙る。

もう黙る。


見つからないなら黙った方がいい。













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2017年に起こってよかったこと。

「今年を漢字一文字で表したら疲労の「疲」しかない」 昨年末、友人や家族と1年を振り返るような話になったとき、私はそう言った。
いつも狂ったように「前向きでいたい!」と自分を鼓舞して生きている人間の私にとって、こんな発言を自らするのは本来屈辱的なはずだったけれど、私の心情はいたってフラットだった。
だって、疲れたのだから。
それはこの1年の否定でも肯定でもなくて、ただただ、私が抱える事実だった。
2017年の元旦の夜の私には未来への期待しかなかった。 「今年は絶対変わるんだ、毎日をキラキラさせて夢に邁進するんだ」 という炎のような野望を抱いて、それを燃料にしてやみくもに前へ前へと動いた。
元旦の日も、寝正月なんてするもんか、と「今から初詣行こうよ!」と日も暮れたころに地元の親友を呼び出して鶴岡八幡宮で初詣へ行った。人生で初めて書く絵馬には「人生を自分で切り開く」と書いた。それから夜遅くまで鎌倉のカフェで互いの近況と今年の抱負を語り合い、帰路につくころにはすっかり心のエンジンがかかっていた。
家までの道を月を見上げて歩きながら、ふと「今年の一曲を決めよう」とapple musicの曲をシャッフルした。シャッフルをタップして、間髪入れずに力強いピアノのイントロが流れた瞬間を、私は一生忘れないと思う。
その一音目は私の脳天を直撃して、脳と心を震わせた。
思わず立ち止まって目を見開き、息を飲むほどその曲との出会いは衝撃的だった。
「素晴らしく好きな曲に出会ってしまった」と思った。
その夜書いたブログも残っている。
2017年最初に書いたブログ
そもそも、その曲をダウンロードしたのは「スターウォーズ・ローグワン」を見に行った日本橋の映画館に貼ってあったポスターにやっぱり同じような衝撃を受けたからだった。
「何このポスター、好き!」と思って、サントラをダウンロードした。それを初めて聞いたのが元旦の夜だったのだ。
親友との楽しい会話の余韻と、リズミカルな美しい音色、空には月や星が輝いていて、元旦の夜の澄んだ空気からは幸福と希望の匂いしかしなかった。駆け出したいほどの高揚感を抱いて、私は「最高の夜だ、最高の1年にできる」と確信した。お酒も入ってなかったし、恋人とも別れたばかりだったけれど、最高に晴れやかな気分だった。
だから疲れたのだ。
まるで思い通りにはいかない1年だった。 挫折…