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NODA・MAP公演「MIWA」11/7 感想



クリスマスと同じくらい楽しみにしているもの、それが毎年の野田地図公演。
NODA・MAP第18回公演「MIWA」、東京芸術劇場にて11/7に観劇してきました。




今回の席は今まで観に行った野田地図公演の中で、一番舞台に近い席。
おかげでいつも以上に役者さんの表情や動き、舞台演出の細部まで見れた。



(以下、ネタバレ注意。あらすじ解説とかはしてません。)



兎にも角にも、二時間十分ほぼ出ずっぱりの宮沢りえに驚き。

今回の野田地図は、若い世代にも人気のある俳優さんたちが何人も参加していて、目に豊かというか、フレッシュで華やかな雰囲気。しかも、それぞれが兼役しているので、登場人物数はさらに多い。けれど、どんな賑やかなシーンでも、スポットライトは常に「宮沢りえ」そして「美和明宏」に絶えず当たり続けてた。

パンフレットで瑛太が宮沢りえのことを「気がつくとつい目で追ってしまうほど、常に輝いている」って言ってるけれど、そういうことなんだろうなあ。


野田さんが言っているように、この舞台は「美輪明宏の事実」でもなければ、全くすべて空想のファンタジーでもない。愛の物語。そして、MIWAが生き抜いてきた時代の物語。


事実と空想が入り交じる物語だけど、「戦争」「原爆」「記憶」これは事実。
野田さんの作品から切り離せないもの。

野田地図の舞台からは「忘れちゃいけない」「知らなきゃいけない」っていつも訴えかけられる気がする。

無知って残酷だよなあ。知らずしては祈ることすら出来ないのに。
知らなければ忘れないことすら出来ないのに。

私は過去は知って生きたい。
何を忘れちゃいけないのか、知って生きていきたいから。





今回も言葉遊びが満載だったなあ。
新潮に掲載されてた戯曲も読んだけれど、戯曲で読むとすごく短く感じるのは何故だろう。ともかく、あんな風に言葉で遊べるのって素敵だ。いつも以上に言葉が楽しい戯曲だったと思う。


演出も、すごく良かった。
特に、妄想の海での演出、最高。本当に水の中にいるようで。
「ザ・ダイバー」もこんな感じだったのかなあ、と高揚した。


長崎での原爆シーンは、くるぞくるぞと分かっているからすごく怖かった。
エッグの最後のシーンを何度観ても震えてしまうのと同じだ。


映画館の名台詞集、あれは野田さんが考えたものではないのかな。
だって、twitterでよく見る台詞ばかりだもの。
きっと色んなところから引っ張ってきたんだろうな。でも、面白かった。
橋爪さんの声も天海さんの声も聞けて得した気分になった。


あと、なんと言っても古田新太。
いちいち面白い。特に歌うときの古田新太と宮沢りえが息ぴったりで、笑ってしまった。
野田さんは今回もはじけてたなあ。オスカワアイドル、ちょっと切なかった。

あ、野田さんが舞台の端でソファーに(役として)座りながらじっと舞台を眺めている場面、あの時間って野田さん何を考えているんだろうってすごく気になった。眼が、鋭いんだよなあ。



そんな、充実の二時間十分だった。


たくさん笑わせながら、どんどん深みに落としていく。
それがやっぱり、野田作品だなあと。


素直に笑い、深みにはまらせていただきました。
もちろん、少し天の邪鬼に勘ぐりながら。



とりあえず、三輪さんの自伝買ってきます。






ちなみに、私は大学で言葉を使った表現を学んでいます。もともと活字が大好きなのです。活字というものに多大なる信頼を寄せて生きてきました。
けれど高校生のときに初めて「ザ・キャラクター」という野田作品を観たとき、私は劇場という空間、演劇、そして野田秀樹という人物によって、“生の表現”という鈍器で頭を殴られたような気分になりました。そのおかげで、今まで使ってこなかった脳のある部分が目覚めた気さえするのです。


今でも、野田作品を観ると脳が酔ったような感覚になりますが、あの最初の一回ほど、がつんとやられたときはありません。


私の大学の教授は、「ドストエフスキーの読は十代のうちしかまわらない。十代のうちに読んでおかないと、本当の意味で彼の小説を理解することはできない。」と言っていますが、それはおそらく野田秀樹の作品にも言えることだと思います。


もちろん、演劇体験というものは何時その入り口にたっても、素晴らしいものです。
ゼロかイチかは魂があるかないかの大きな違いです。けれど、そのイチを踏み出すのが早ければ早いほど、その一歩は飛躍すると思うのです。



こんなに演劇と野田秀樹に傾倒してる私ですが、これからも活字が持つ熱量を追い求めていきたいです。あの、がつんとした衝撃を、いつか私も誰かに。







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