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夏の裁断



島本理生さんの新刊「夏の裁断」を鎌倉で買って、そのまま読んだ。

そしたら、偶然鎌倉が舞台で、「道沿いのドラッグストア」とか多分あそこか、って分かるから不思議な気分になった。

13歳で島本理生さんの「ナラタージュ」を読んだ。
あんなに心が揺さぶられた恋愛小説は初めてで、まだ体験したこともない恋愛の行方と、まさにそのとき感じていた「訳も分からずとにかく心の底から好きになってしまう」奇跡と苦しさがそこにはあった。主人公は大学生で、私はもう彼女の年齢を越えてしまったけれど、どんな恋をしても、ナラタージュを読むときに思い出すのはたった一人、あの人だけ。

絶対忘れないって思える綺麗な一瞬だけは、本当に真空パックみたいに心の中に閉じ込めていられると教えて貰った小説、


ところで、「夏の裁断」良かったです。

再生の物語かは分からないけど
最後の一行に救われました。
どんな物語にも、ひとかけらの救いが欲しい。



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意味

人間はとても勝手な生き物で、何に対しても「意味」を見出してしまう。起こる全てを都合よく正当化してしまうのだ。それは私も例外ではなく、自分の人生に起こること全てには意味があると思っている。なぜなら私は愚かな生き物だからだ。

大学最後の年に出会ったその人は、私に何度もこう言った。

「結末を正当化するのはやめろ。自分の望んだゴールに辿り着かなかったときに、これで良かったんだと正当化する奴は一番愚かだ。そういう人間は絶対に成功出来ない。成功する人間は望むゴールをしっかり見据えて、そこから論理的に逆算している。そうすれば自分が取るべき人生の選択が見えてくる。ゴールから逆算しろ。辿り着いた場所が自分の人生だと思うな。そんな大人になるな。」

22歳の私はまだ本当の社会を知らなくて、おまけに誰が見てもその人に心酔していたから、その言葉を真摯に自分の人生に組み込もうとした。それが仕事や課題ならよかった。締切のある仕事や短期間の目標に対して「逆算」はとても役に立つ。なぜならゴールが明確だから。けれどその人は「人生を死から逆算しろ」と言った。死なんて、いつ訪れるか知る由もないのに。だけどその考えに私は共感したし、その言葉に気付かされたことは多い。

そして卒業してもその考えを強く抱いていた私は、次第に思い描いたゴールと離れていく自分に対して「私は人生に失敗しているのかも」と暗く不安な気持ちを抱き始めた。そんな時、「いやいや、でも今は今で・・」と思いそうになれば、脳の中で「今を正当化するな」という言葉が聞こえてきて、その度、自分に言い訳をして今を正当化しようとする自分を弱くてずるい人間だと思った。私を奮い立たせていた勇気の言葉は、いつしか私を追い詰める呪いに変わっていた。私は自分がその人が蔑む「そっち側」の人間になってしまったのだと落ち込んだ。だからその人に何度「飲みに行こう」と言われても、今の自分に自信が持てずに、適当な理由をつけては断った。

今はどうかというと、もはや描いていた「社会人2年目の自分」がどんなものだったかもあまり覚えていない。この2年間、予想していないことばかりが起こった。気持ちも、世界の見え方も、毎日変わる。最低な1日があれば、最高な1日もあって、浮き沈みの激しい自分に苦しむ日々だ。全然満足いかない現状が、どうしようもなく嫌になったり、なんでもない休日の朝がどうしよう…