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Showing posts from September, 2015
読みかけの本が鞄の中で眠ってる
読む暇もないほどに くるくる時間が回るのは
なんだか楽しい

地球の裏側で

Facebookが教えてくれた"1年前の今日"の私は ニュージーランドのYMCAの共同キッチンで大根と鶏手羽を煮ていた。
毎日そんな手の込んだ料理をしていたわけではなく、通っていた学校のイベントでそれぞれ母国の食べ物を持ち寄るシェアランチの為に準備をしていたのだ。
学校には日本人がそれなりに居たので、寿司、焼きそば、お好み焼き、あたりは必ず誰かが持ってくるだろうと思い、私は自分の食べたい和食を作ることにした。
大根と鶏手羽の煮物。
外国人の口に合うか自信はなかったけれど、きっと日本人は恋しく思っている味だろうと思った。
ニュージーランドで食事をしていて大根が出てきたのは、日本食レストランか韓国レストランだけで、スーパーにも売っていない。
恐ろしいほど値段の安いチャイニーズスーパーマーケットで私は大根を手に入れた。

それを住んでいたホステルの共同キッチンで煮込んでいるとき、とても不思議な気分だった。私は何か変わっただろうか、とキッチンの窓からオークランドの街を見て思った。

何処に行っても私でいられるのは、私の欠片ばかりの個性かもしれない。長所か短所かと聞かれたら、それは両方だ。

地球の裏側で大根と鶏手羽を煮る私は、誰かに言わせれば「自分を持っている」子で、時には「浮いてしまう」子でもあり「つまらない」子かもしれない、でも、つまらないパーティーで誰かとキスして「そんな子だったっけ、なんだか変わったね」って言われても、私は元々、こういう人だよと言いたくなる。

本が好きで、地球の裏側でも自分を消せない頑固者で、一瞬に恋をする22歳。何も変わってないのに。






月の裏側

言葉の裏側とか真意とか
表情とか気持ちとか

人より少し多めに、汲み取ってしまうみたい。

知りたくなくても分かってしまう

気付きたくなかったことも見えてしまって
寂しくなったり哀しくなったり
ひとりで勝手に傷ついたりしてる

もっと強くて優しい人になりたい
優しい言葉を紡げる人になりたい




すきなうた

すきなうた。
「   僕が僕であることを 人に説明する無意味さを 君の表情はいつでも教えてくれる
言葉はいつも遠回り空回り 風に乗って消えちまう 形あるものを僕は信じる   」








「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ 性格なんてものは 僕の頭の中で勝手に 作り上げればいい」



好きな邦楽のラブソングのひとつ いちばん好きなのは キリンジのエイリアンズ

まだ相鉄線。遠いな。

こころはまる

お天気で 秋の風ふいてて 友達と会う約束があって 新学期のうきうきもあって とがるものなんて何もない感じ

こころがまるいです
しかし学校遠いな







自分を嫌いになるとき

私この一年くらいで6キロ太った。

就活のストレス、とか、恋愛のごたごた、とか言い訳したくなるけど
結局は自分を大事にしてなかったんだと思う。


6キロ分の脂肪は、見た目より心を重くする。

魔法みたいに一瞬でそれをなくすことは出来ないけど
頑張ればなくなる。だって脂肪だもん。

今の自分は嫌い。
この身にまとった余計なもの全部なくしてすっきりしたい。





その人の世界

あの人も、この人も、私も、 違う瞳を持っている。

その瞳から、同じ世界を違う色や角度で見てるかもしれない。


私が本や音楽や美術、演劇、 そういうものにすごく惹かれるのは

他の人の瞳には世界がどんな風に見えるのか知りたいから。

私は知らないことや 誰かの知らない部分を 深く知っていくのがとても好きだから
本当はその人の瞳からそのままその世界を見たいんだけど
それはどうしたって出来ないから
作ったものから その人を想像して 思いを受け取ったりする

私は自分のことはよく分からなくて
変わってるとか普通とか、それもあんまり分からないんだけど
自分の瞳を通して見えてる世界はきっと私にしか見えないものだから 大事にしようと、思ってる

書きたいって思いも、 それを伝えたいから生まれる気持ちな気がするから

もし私が小さな頃から、自分の伝えたいことを上手に話せる子だったら、書かないでいたかもしれないなって、最近考える

とにかく
知りたいって思う気持ちがあるのも 好きなものがあるのもラッキーだ




雨の音がすごくてまた眠れず。

平日朝の渋谷って静かっていうより 閑散、空っぽ、とかの方がしっくりくる。







優しかったあの子に嫌われたこと

何年か前の冬、優しかったあの子にとても嫌われてしまったことを急に思い出した。あの頃の自分の残酷さとか幼さとかも同時に思い出して、とても恥ずかしくなった。
きっとあの子は、私が自分自身に塗りたくったメッキの部分をちゃんと見抜いてた。なのに私は、「なんで怒るの」なんてきょとんとしたふりしてたから、それが余計に許せなかったんだろうな。
だってあんなに誰かが誰かを好きになって怒ったり泣いたりするの、見たことなかった。友達は友達で、恋愛は恋愛で、それとこれとは別だと思ってた。本当に私は馬鹿で幼かった、
でも嫌われてしまった過去はもう仕方ないので、忘れないけど悩まない





子ザル

小さな頃は、すべり台から落ちて頭蓋骨を割るような本当におてんばな子どもで、しかもその2年後にまたすべり台から落ちて腕の骨を折ったりする懲りない馬鹿だった。
お姉ちゃんと喧嘩して腕に噛み付いて泣かせたり、男の子に混ざってサッカーしたり、海で一年中真っ黒に日焼けしてる、子ザルみたいな女の子だった。
それを話すと誰もが「今のあなたからは想像できない」と驚くけれど、今もそのころの自分は残ってる。まだ子ザル。


学生最後の夏休み

そうして学生最後の夏休みが終わったわけです。

最後の夜は、もう卒業して社会人をしている大学の同級生と久しぶりに会った。

「私、大学で今お姉さんみたいなポジションにいるんだよ。優しいんだって。」
って言ったら盛大に笑われました。
「くーちゃんが? 夜中の街に友達二人置きざりにして、気になる人の所に行っちゃった、くーちゃんが?」
ああそんなこともあったなあと。笑

ほんとの私はとても理不尽でワガママな部分を持っていて、それが全部じゃないけど、それも紛れもなく私です。

優しくなりたいけどね。




隣の部屋

全く、少しも眠れなくて 土曜日の明け方に外に出ました。
うっすら明るくなってきた空の下を 少し走ったり歩いたりして
そろそろ帰って支度して 今日はどこかに行こうとか
朝日が綺麗だなーなんて思っていたら

不安になるような音がして視界が歪んだ。
穏やかな土曜日の朝なんて 一瞬でこわれてしまうんだって 少しこわくなりました。

でも昨日はそれから、
新国立劇場で展示中の 「隣の部屋」展に行ってきた。

日本と韓国の現代アートに携わる様々なアーティストの作品を見ました。

久しぶりにゆっくりと考えたり、感じたりできて幸せでした。
美術館の白くて清潔そうな壁が好き。
誰とも話さず、ひとりぼっちで居るようで、知らない誰かを深く知れる空間。

色んな作品に色んな伝え方があって、好きなのもあれば、好きじゃないのもあって、受け取りたいけれど、どうしても目をそむけてしまうものもあった。

思ったのは、あまり説明されてしまうとつまらないなってこと。
作品の意味なんて、メタファーなんて、説明しなくていいのに。
だって言葉で全て説明してしまうなら 私がこれをここで見る必要ない、と思ってしまう。

意図があったとしても、私がどう考え、どう感じるかに、正解も間違いもない。
私はしっかり、真面目に、素直に、正直に受け取りますので、あなたの作品にはそのまま何も加えずに見せて下さい、と言いたくなる。


沢山の作品を見て、驚いて、感心して、高揚して、疲れて、お腹が空いて、昨日はぐっすり眠れました。










i can't give you anything but my love.

韓国旅行

というわけで、 9月4日〜8日まで韓国旅行してきました。
マイレージ使ったので航空費なし。 さらに現地の友達の部屋に泊まったので宿泊費もなし。
なんとありがたい、、

その代わりと言うとおこがましいですがお土産沢山持ってきました。




帰りはこれ全て、韓国土産に変わりました。


留学先で出会った友達に沢山再開できて、まるで昨日会ったかのように変わらず笑い合えました。
韓国の女の子たちは、とても愛情深くて、感情表現が素直なところが魅力的です。
「さみしい」「だいすき」「かわいい」「たくさん食べて!」「楽しめた?」「つかれてない?」「にあうよ!」
沢山の優しい言葉を常にかけてくれます。
ご飯代も、払おうとしても 「ここは私たちが!」って頑なに押し切られること常々。

サプライズプレゼントも沢山貰って、
なんだか愛されてるなって思いました。

私も、あの子たちが本当に大好きです。
留学は終わっても、こうして続く関係は宝物だなって思います。


















目を背けない人が好き

韓国旅行について詳しくはまた後日。

お隣の国でも文化も人も違って面白いなと感じました。

で、帰って来てから「居場所」についてな考えてる。

両親に「柚佳は海外に居た方がのびのびして楽しそうだね。」って言われた。

でもそれは多分、日本には私が眼をそむけたいものが沢山あるからなのかもしれない。

日本には、というよりは私の近い未来とか、そういう、少し不安になるもの。

でもそれを見ないふりして「海外が私に合ってる!」って思うのは嫌。

もやもやする苦しい気持ちから目をそむけて、無理矢理角度を変えて良く見て、悩まないようにする人生なんて、私は嫌。

それで「前向き」なんて言葉で持ち上げられるのは、本当に嫌だ。

向いてる方が前なのか、向かなければいけない方が前なのか。

答えがあるわけじゃないけれど、考えるのをやめてしまったら、過ごした時間も思い出も全部、薄っぺらいものになってしまうと思う。

私がなりたいのも、尊敬するのも、好きになるのも、全部「目をそむけない人」。

辛くても、人のせいにしない人。社会のせいにしない人。

私もそういう風に生きていきたいって思い始めた。

だからどんなにキラキラして見える人も、芯がなかったら、やっぱり少し空しく見える。


そんな人に、芯を求めてしまう私も、いい加減にすればいいのに。








滅多にない調子の良い日

時々、本当に本当に時々、 つまり滅多にないんだけど 

全部が丁度よくバランス良くて、とっても穏やかで幸せな気分の日がある。
天候、メイク、その日選んだ服、前の日の睡眠時間、予定、出会う人、全部が作用して、そういう気分が出来上がる。

優しい気持ちになれる。

今日はそんな日だった。 まだ終わってないから分からないけど

こんな日が毎日、なんて言わないから
少しでも長く、多くなるといいな。


走ったり振り返ったり

最近、夜に少しだけ走ってる。

私の住む街の夜は静かで暗くて、時折足元が見えずらくて、運動神経の良くない私はすぐ転んでしまいそうになるから、
だからなるべく気をつけて、夜の暗さをじっと見ながら走ってる。
でも昨日は、走っていたら黒ばかりの視界の中に急に緑とか、ピンクとか、鮮やかな色が光った。
手持ち花火をしている家族がいて、小さな子も、大人も、花火の光をくるくると回しながら笑っていた。
8月の最後の日に、夏を惜しむようにする手持ち花火って風情あるなあ、なんて思いながら走ってたら、やっぱりつまずいて、転びそうになった。

さて、9月。
Facebookが教えてくれたんだけど 私、3年前の今日は香港にいたんだって。
写真見返したら、また行きたくなってきた。