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目を背けない人が好き



韓国旅行について詳しくはまた後日。

お隣の国でも文化も人も違って面白いなと感じました。

で、帰って来てから「居場所」についてな考えてる。

両親に「柚佳は海外に居た方がのびのびして楽しそうだね。」って言われた。

でもそれは多分、日本には私が眼をそむけたいものが沢山あるからなのかもしれない。

日本には、というよりは私の近い未来とか、そういう、少し不安になるもの。

でもそれを見ないふりして「海外が私に合ってる!」って思うのは嫌。

もやもやする苦しい気持ちから目をそむけて、無理矢理角度を変えて良く見て、悩まないようにする人生なんて、私は嫌。

それで「前向き」なんて言葉で持ち上げられるのは、本当に嫌だ。

向いてる方が前なのか、向かなければいけない方が前なのか。

答えがあるわけじゃないけれど、考えるのをやめてしまったら、過ごした時間も思い出も全部、薄っぺらいものになってしまうと思う。

私がなりたいのも、尊敬するのも、好きになるのも、全部「目をそむけない人」。

辛くても、人のせいにしない人。社会のせいにしない人。

私もそういう風に生きていきたいって思い始めた。

だからどんなにキラキラして見える人も、芯がなかったら、やっぱり少し空しく見える。


そんな人に、芯を求めてしまう私も、いい加減にすればいいのに。








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意味

人間はとても勝手な生き物で、何に対しても「意味」を見出してしまう。起こる全てを都合よく正当化してしまうのだ。それは私も例外ではなく、自分の人生に起こること全てには意味があると思っている。なぜなら私は愚かな生き物だからだ。

大学最後の年に出会ったその人は、私に何度もこう言った。

「結末を正当化するのはやめろ。自分の望んだゴールに辿り着かなかったときに、これで良かったんだと正当化する奴は一番愚かだ。そういう人間は絶対に成功出来ない。成功する人間は望むゴールをしっかり見据えて、そこから論理的に逆算している。そうすれば自分が取るべき人生の選択が見えてくる。ゴールから逆算しろ。辿り着いた場所が自分の人生だと思うな。そんな大人になるな。」

22歳の私はまだ本当の社会を知らなくて、おまけに誰が見てもその人に心酔していたから、その言葉を真摯に自分の人生に組み込もうとした。それが仕事や課題ならよかった。締切のある仕事や短期間の目標に対して「逆算」はとても役に立つ。なぜならゴールが明確だから。けれどその人は「人生を死から逆算しろ」と言った。死なんて、いつ訪れるか知る由もないのに。だけどその考えに私は共感したし、その言葉に気付かされたことは多い。

そして卒業してもその考えを強く抱いていた私は、次第に思い描いたゴールと離れていく自分に対して「私は人生に失敗しているのかも」と暗く不安な気持ちを抱き始めた。そんな時、「いやいや、でも今は今で・・」と思いそうになれば、脳の中で「今を正当化するな」という言葉が聞こえてきて、その度、自分に言い訳をして今を正当化しようとする自分を弱くてずるい人間だと思った。私を奮い立たせていた勇気の言葉は、いつしか私を追い詰める呪いに変わっていた。私は自分がその人が蔑む「そっち側」の人間になってしまったのだと落ち込んだ。だからその人に何度「飲みに行こう」と言われても、今の自分に自信が持てずに、適当な理由をつけては断った。

今はどうかというと、もはや描いていた「社会人2年目の自分」がどんなものだったかもあまり覚えていない。この2年間、予想していないことばかりが起こった。気持ちも、世界の見え方も、毎日変わる。最低な1日があれば、最高な1日もあって、浮き沈みの激しい自分に苦しむ日々だ。全然満足いかない現状が、どうしようもなく嫌になったり、なんでもない休日の朝がどうしよう…