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隣の部屋



全く、少しも眠れなくて
土曜日の明け方に外に出ました。

うっすら明るくなってきた空の下を
少し走ったり歩いたりして

そろそろ帰って支度して
今日はどこかに行こうとか

朝日が綺麗だなーなんて思っていたら


不安になるような音がして視界が歪んだ。

穏やかな土曜日の朝なんて
一瞬でこわれてしまうんだって
少しこわくなりました。


でも昨日はそれから、

新国立劇場で展示中の
「隣の部屋」展に行ってきた。


日本と韓国の現代アートに携わる様々なアーティストの作品を見ました。


久しぶりにゆっくりと考えたり、感じたりできて幸せでした。

美術館の白くて清潔そうな壁が好き。

誰とも話さず、ひとりぼっちで居るようで、知らない誰かを深く知れる空間。


色んな作品に色んな伝え方があって、好きなのもあれば、好きじゃないのもあって、受け取りたいけれど、どうしても目をそむけてしまうものもあった。


思ったのは、あまり説明されてしまうとつまらないなってこと。

作品の意味なんて、メタファーなんて、説明しなくていいのに。

だって言葉で全て説明してしまうなら
私がこれをここで見る必要ない、と思ってしまう。


意図があったとしても、私がどう考え、どう感じるかに、正解も間違いもない。

私はしっかり、真面目に、素直に、正直に受け取りますので、あなたの作品にはそのまま何も加えずに見せて下さい、と言いたくなる。



沢山の作品を見て、驚いて、感心して、高揚して、疲れて、お腹が空いて、昨日はぐっすり眠れました。











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