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Showing posts from 2016

I'm still the one

24歳になりました。

誕生日って大晦日みたいなもんだよね。一年が終わって、また新しい一年の始まりがくる。大晦日と違うのは、人によってその日が違うこと。私にとっては誕生日でも、誕生日以外の人にとってはただの日曜日。でも日曜日でよかった。嬉しい気持ちの人の方が多そうだもんね。誕生日じゃない人だって、憂鬱な月曜日よりは、よく晴れた日曜日のがいい気分だよね。

24歳って私は好きな数字。まだまだ子ども、若い、女子、女性。なんか不安定でぎりぎり。

20歳はフレッシュ新成人。
21歳は「はたち」の響きに含まれた輝きを失う。
22歳は何しても大丈夫で楽しい。でも一瞬で終わる。
23歳は引けず進めずなんだか中途半端。
24歳は20代前半の最後の歳。刹那的で尊い。ぎりぎりの感じが好き。

これまでは、歳をとるのが嫌だってことばかり考えていたけど、今は24歳まで元気に生きられたことや家族揃ってお祝いしてくれたことや友達が連絡をくれることに感謝と嬉しい気持ちが自然と込み上げてくる。

大人になるってこういうことかもしれない。

私は歳がタイトルに入った曲を誕生日には沢山聴くんだけど、24歳の曲は全然ない。

22歳はTaylor Swiftの「22」
23歳はIUの「twenty-three」
24歳は・・Bruno Marsの「24k Magic」?


歌い出しが脳にしびれて好き。ちゃんと恋に落ちた。今のテーマは「恋に落ちたものだけ」なので。(前記事参考)

いつも誕生日とか元旦とかはipodを全曲シャッフルして「一番最初に流れた曲が今年or○歳のテーマ曲」とかやっていたんだけど、最近お気に入りのアーティストの聞いたことない曲をテーマにしようと思って、彼女のYOUTUBEチャンネルで直近にアップされたMVの曲を選んだ。


それがこれ。好きな曲で良い歳になりそう。こういうとこ、子どもの頃から本当に変わらない。自分でジンクス作って楽しんだり、自分で作ったルールにとらわれ過ぎて苦しくなったり。感性の豊かさとお馬鹿さんって紙一重だと思う。

相変わらず夢と野心は持ってる。頭にはいつも絶えず言葉が流れていて、書き起こすのが追い付かないほど。

25歳になるときにはどんな言葉を持っているかな、誰と一緒にいるのかな、私はもっと強く賢く優しくなれてますように。

恋に落ちたものだけ

たった一枚のセーターとの出会いで
恋に落ちたものだけで生きていこうって決めた。

あんまりにも可愛くて頭がくらくらしたんだ。
ああ、私の思ってた「かわいい」なんて
ほんとにチープでありふれて取り換え可能な
退屈な「かわいい」だったなって気づいてしまうくらい。

すぐに売っている店舗を調べたら、「SOLD OUT」の言葉が出てきてもう一度頭がくらくらした。

いつもなら似たものを探す。半分くらいの値段で買えるものを探す。でも、そんな考え持てないくらい「これが欲しい」と思った。


そしてそれが恋だって思い出した。
恋は融通が利かない。
あれこれ事情は分かっていても
それじゃなきゃ駄目だって思う。
喉から手が出るほど欲しくて欲しくて
でも手が届かない気もして
自分じゃ見合わない気もして
それなのに私が手に入れるべきだって
根拠のない強い強い気持ちがある。

似たものじゃ意味なくて
似たものは偽物で
偽物に触れば、
より本物の恋の輪郭をはっきり感じる。
これは偽物、あれだけが私の本物の恋だって。

その服のブランドのデザイナーさんが
インタビューで自分の服を紹介していた。
ずらっと並んだ服たちはまるで色とりどりの宝石みたいで
私は自分のクローゼットを想像して、まるでガラクタ入れみたいだと思った。

でも私のガラクタ入れにも光る宝石みたいなワンピースがある。ずっと飾って眺めておきたくなるような一枚が。

それは去年の冬に母とニューヨークに行った時、ブルックリンの古着屋さんで見つけた半袖のロングワンピースで、シルクに少しざらつきを足したような不思議な黒い生地に、細かい赤と白の花柄が散らばせたデザインで、襟はレトロな形、腰の高い位置から足元へ向けてなだらかに広がるプリーツ加工があって、恋のない食事ばかりをして大きくなってしまった私の身体でも少し絞まって見せてくれるような、そんなワンピースだった。腰回りには生地と同色のリボンが通っていて、後ろで蝶々結びにすれば、アホみたいだけど映画「500日のサマー」でズーイー・デシャネルが演じるGood girlなお洒落が似合うヒロイン、サマーになった気分になるのだ。サマーは私の理想の「Good girl」だ。

その店に入って、一目見た瞬間、欲しいと思った。
誰かに取られたくない、私のものにしたいって。
こんなのキャラじゃないかなとか
これってドレッシーすぎるかなとか
色んなことが頭をよぎったのだけど
それも分かっていて
欲し…

それはいつも突然で

昼休みにiphoneでtwitterを開いたら、「エッセイストでライターの雨宮まみさんが死去」というニュースが目に飛び込んできた。
瞬間、胸が詰まるような感覚と裏腹に「誤報かな」と思った。それくらい、現実味がなかった。私はただの読者だけど。でも、フォローしている雨宮さんと交流のある方々が動揺するようなツイートをしているのを見て、これは現実なのかもしれないと思った。

その時は私は、会社の目の前の公園で同期と三人で広い階段に並んで腰かけて、近くの小さなパン屋で買ったソーセージパンを食べていた。ぽかぽかとした日差しに、背中がじんわりと暖まっていくのを感じた。隣でカレーパンを齧る同期は「次の髪色どうしようかなあ」とぼやいでいた。


彼女の著書「女子をこじらせて」を読んだことがある。 ボロボロに傷ついても、泥のように重く苦しい気持ちを抱えても、這いつくばりながら私は生きていくんだという、野望や生命力を私は読み取った。精力的に色々な雑誌やネット記事に寄稿しているのも、いち読者として読んでいた。
共鳴する部分があった。 這いつくばっても生きていこうと思った瞬間が私にも何度もあったから。

それでも彼女は度々“死”を手を伸ばせば届く棚の上のお菓子みたいに語っていたから
それが私が彼女の「ファン」だと言い切れない理由のひとつだった。
でも、生きていてほしかった。


雨宮さんの最後のtwitterでの呟きは、これから公開になる映画に対してのコメントだった。
「これ、すごく好きかも」とまだ公開になっていない作品を楽しみに待っているように見えた。そのツイートは、彼女の死の無念さを想像するには十分なものだった。
けれど、雨宮さんのブログに飛んだとき、一番上にあった記事のタイトルは「死にたくなる夜のこと」だった。
まさかそんな風に日常を閉じてしまったのか、とすうっと冷たい混乱が胸に広がった。
それがこの記事だった。 http://mamiamamiya.hatenablog.com/entry/2016/06/08/031212

『死んだら、みんな、「わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?」と思うだろう。 「笑っていたけど、あれは嘘だったの?」「苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?」 そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、ど…

11月は私の季節

やっぱりここが好きだ。
このブログはインターネットで発信しようと思ったときの ドキドキと期待と衝動的な自己顕示欲を詰め込んだ場所。 ドロドロのポジティブとネガティブも痛い思い出も恥ずかしさもここには残ってて 広い広いインターネットの海の中の小さな粒みたいなものだけど 宝物入れみたいに、ここには言葉や好きなものを入れてきた。

誰に見られてても構わない。家族でも昔の恋人でも上司でも誰でも。 全部、誰にでもあげるけど、誰にも奪われないものだから。




暑中見舞いのようなもの

もうここは更新しないつもりだったけど
なんだか捨てがたくて、久しぶりに。


働き出して3ヶ月経ちました。
私は相変わらず私で何処に行ってもマイペース。

言われることも大体同じ

芯が強そう、とか
溜め込んじゃいそう、とか
実は一番○○なタイプ、とか 


役を当てはめられると演じちゃうからな

周りが思うより、私は人が好きだし楽しいことも好き


とりあえずは社会の中に溶け込めていると思います

そして恵まれた環境で働いてると思う

でもあれだ、なんか泡みたいな関係が多くて
ぷかぷか浮いてる気分になるよ。

継続が信頼関係を生むんだもんね、
今はまだ少し時間かかるね



気付いたら夏だ、

私は日本の夏の匂いが好き。

お祭りの屋台の匂い
花火の火薬の匂い
潮風の匂い
プールの塩素の匂い
日焼け止めの匂いもいいよね。



楽しい夏を過ごしたいね












僕は君じゃないから君を好きになれる

「僕は君じゃないから君を好きになれる。」さっき、この言葉が歌にのってラジオから流れてきた。ちょっと響いた。なるほどって腑に落ちた。

他人は私じゃないからこんな私のことを肯定できるのか。

恋愛が好きだけど、ただそれだけなのかもしれないと時々思う。
「本当に好きなの」と聞かれると黙ってしまう。一緒にいればなんとなく分かってるはずなのに、どうして答え合わせをしたがるのだろう。

肌を重ねることで知れることはあるけれど、隣で眠ることには意味を感じない。不安になるだけだ。こんなことを人に話したらどう思われても仕方ないから、誰にも話さない。

奔放さも武勇伝も何も要らない。ただ自分でいて、日常の中で恋に落ちたい。
日常を分け合える人と恋をしたい。おんぶにだっこじゃなく、一緒に大人になりたい。ずっと。すごくシンプルなことなのにそれが全くできない。

やっぱり私が駄目なんだろうか。誰といてもいつも上の空で少しだけ「帰りたいな」って思う。「帰りたくない」なんて言葉を言うときもやっぱり上の空。男の人が「最初はこんなじゃなかったのに、変わったね」なんて言うのは全然違う。私は変わってない、最初からあんまり好きじゃないだけだ。

人を好きになったことはある。それが普通の青春とは違っただけで、本当に好きだった。好きだったから、終わりが目に見える関係は選ばなかった。今もそれには全然後悔していない。今もこれからもずっとその人のままでいて欲しい。その人がその人らしくいてほしいと願う気持ちが私の「好き」なのかもしれない。


4月1日

今日から新社会人。新生活は、そわそわする。

経験のないものを想像して不安になったり期待したり。人一倍それが強いのは物語が好きだから。

何も変わらなくても、それでも大丈夫だよって何度も自分に言い聞かせる。いつだって自分は情けないし他人はよく見える。過去の方が輝いて見えるのも仕方ない。今日だって時間が経てばとても愛おしい時間になる。


とんでもなく悲しい日もやってくるだろうけど、人生は終わりに向かって進んでいるんだから、もともと悲しいものだと思う。気付いたらおばあちゃんになっているんだろうな。
それまでに何を残せるかな。ちゃんと後悔しないで自分の人生や周りの人とさようならできるのかな。

春の花びらみたいに散って忘れてしまう気持ちを書き留めておかないと。私はすぐに忘れてしまうから。






卒業

幸せは春の陽射し、夕陽のまどろみ。
小さな失敗も憂いも溶けていく。
変わったのは世界じゃなくて見方。
叶わないことを数えるより、会えた幸せを胸に刻んで。 「今日の日はさようならまた会う日まで」

Waltz For Debby

どうしてこの曲がこんなに好きなんだろう。夜にいつも聴きたくなる。 小さな頃から、大好きなメロディー。安心する。氷の上をすっと静かに滑り出す様な鍵盤の始まりの音色が好き。
ドラムが刻むリズムは、小さい頃、眠れない私の背中や胸を、母親がタオルケットの上から優しく、とん、とん、と叩いてくれた時の安心感をなぜか思い出す。
ベースの音は夢うつつにぼんやり耳に入ってくる父親の話し声みたい。 柔らかい夜に車の後部座席で高速のライトとか、窓の外の暗闇に茂る木々を横目にうとうとしている時の、運転席で何か話している父親の声。



ライナスのお守りブランケットみたいな、くたくたになったクマのぬいぐるみみたいな、私のお守り。何処にいても、どんな時でも、同じ夜の匂いを思い出させてくれる音楽。


気持ち

数字の上では大人な気がしても、私はまだまだ全然大人じゃない。
軽くなりたくて両手を空っぽにしたのに、ポケットの中にまだ残っているから、時折手を入れると指先が触れてしまう。








東京は絶景

ニューヨークで眠る時この人の歌ばかり聴いてた。


映画館

人もまばらな映画館は淡く静かな夜のよう
スクリーンの白く気高い光は月
胸が詰まって涙が頬をつたっても誰も私を見ていないのが良い
映画館の中にひとり座るときだけが安心する




Suchmos 「Miree」

すき。

真空パックに閉じ込めたい時間なんてそうそうないよね
シャッターみたいに瞬きしても残るイメージなんてほんの少し
指の隙間から思い出はこぼれ落ちて いくつかのかけがえのない瞬間だけ粒になって掌の上で輝く
誰かが私の掌の上のその粒になりたいと思うように いつかの私も誰かの粒になりたかった
こぼれ落ちてしまいたくなかった
社会とか 世界とか 歴史とか
大きな掌の上でいつまでも輝く粒にはなれなくても
誰かの掌の上にあるたった一粒の光になりたい







おんなのこいろいろ

深夜にずっと観ようと思ってた「おんなのこきらい」を観た。









おんなのこ かわいい
おんなのこ きたない
おんなのこ 自業自得
おんなのこ あたまわるい
おんなのこ かっこわるい
おんなのこ かわいそう
おんなのこ めんどくさい


でも
おんなのこでいることが好き


悲劇のヒロイン気取りも中途半端な優しさも
あざとい行動も剥き出しの嫉妬も全部知ってる

私もやるから

だって愛されたいし
きらきらしたいし
ふわふわしたいし
みんなこっち向けって思う

自分以外全員可愛く見えるし
あんな子どうせって思うし
私もどうせあと数年でもうおばさんだから
綺麗なお姉さんよりかわいい女の子でいたいって思う

どっかで諦めててずっと諦められなくて
私はぎりぎりのところで前向きに女の子やってたい

と思ったよ 深夜に







the another day.

eat pray love
















食べて祈っていろんなものに恋をして 毎日を続けていく

ご飯と部屋

You are what you eat.

だから、変なものばかり食べていると変な人間になってしまう。



私は変な食べ方ばかりしてしまうから、なかなかちゃんとした人間になれない。
それから部屋も私を物語ってる。余計なものを捨てられずにどんどん混沌としていって、ある時「もういやだ」と一気に捨ててしまう。しばらくはすっきりした気持ちでいられるけれど、また徐々に余計な物が積み上げられていって性懲りもなく同じことを繰り返す。

いつの間にか無くなっていくものや、いつまでたっても其処にあるもの、なくしたと思ったら見つかるものもある。


私の人生の縮図のような部屋を、突然綺麗にしたいと思うときがある。沢山のものを捨てたいと思うときがる。性懲りもない生き物だと知っていて、それでも自分に期待をしてしまう。ちゃんと変われているのかな、私は。


綺麗な部屋で暮らして、ちゃんとしたご飯を食べて、なりたい私に少しずつ近づいていけたらいいな。


ねてもさめても

日曜日の夕日が左目に入ると、右目の視力が悪い私はほとんど何も見えなくなって、少し困ってしまう。
耳から入ってくるスガシカオの曲が夕方に丁度よくて目を閉じると、片頭痛が少しましになった気がした。
ニュージーランドの狭い部屋もよく同じオレンジ色に染まった。 私はまだあそこにいるのかもしれない。それとも何か自分の欠片を置いてきたのかもしれない。
溝の口のアパートにも 14号館にも1号館にも 4号館の図書館にも
あの映画館にも あの人の隣にも
小さな欠片を残したままだ

それから頭痛薬を二錠飲んで家から駅まで歩いた。







選択と結果

遠かったなあ、と学科の後輩や教授の前で自分の論文の発表をしながらふと思った。

先生は「結果に満足する人間になるな」って怒るかもしれないけど、私が今手にしているもの、居る場所は答え合わせのしようがない「結果」だ。いつだって、その瞬間の意思を優先してきたから。でも私すごく満足した。ここに来れて良かったと思えた。もっといい結果は幾つも存在したかもしれないけど、私には最良の日。

一番がほしい

卒業制作優秀作品発表会、優秀作品6作品の中から、優秀発表賞に選ばれた。

絶対とるって決めてた。一番が欲しかった。一番になって私のやってきたことを誰かに認められたかった。一番になる自信があるほどには一生懸命にやってきたから。
だから結果にとても嬉しくなった。最高の答え合わせだと思った。

本当に頑張ったこと、心からの野心に
「まあ、いいや」って言ってしまったら駄目だと思う

本当はスピコンだってすごく悔しかった
本当はトロフィー欲しかった
あれをこうしたら良かった、これをこうしなければ良かったって沢山考えた
本当は心の底から一番が欲しかった

認められたいって渇望するのは悪いことじゃない
その為に努力をしなければ願いのままで終わるんだから

でもひとりだったらきっと何も出来なかった
沢山の人に感謝の気持ちでいっぱいだ





イミテーションガール

女の子に生まれて良かったと思える歌
女の子は泥臭くて可愛くてたくましくて矛盾だらけで最高

遠い

「一緒に走ろうね」って言いながら 置いてかれたり 置いてったりするのは とっくの昔の話で














江の島

昨日江ノ島沿いを通ったからかな
思い出で頭の中がいっぱいだ
あんまり楽しくなかったのに
嫌な気分になってばかりだったのに

なんか本当にしょうもないな

最近好きな歌

suisei

風邪をひきまして。

ほんのちょっぴりの微熱が延々下がらず、喉と鼻がぐすぐすです。

辛い。だって、何食べても香りがない。

コーヒー飲んでも苦みだけ。
コーヒー牛乳飲んだら甘さだけ。

人間、粘膜が弱ると、駄目だ

具合が悪いときの変な私の習慣
これだ、という一曲を延々聴くこと

少し具合の悪さから気が紛れるし
ずっと同じリズムで呼吸できて楽
走るときも同じ理由で一曲を延々リピート

で、この風邪に寄り添っているのは、tofubeatsの水星
浮かんでいるみたいにふわふわした気分になれて気付いたら眠れる
daokoちゃんやラブリーサマーちゃんが歌う水星も、混ぜたりしながら
延々、本当に延々、水星ばかり聴いては電車で眠ってる
















太陽が照らす小田急線内
携帯からのミュージック安定剤



“もう一度コンティニューしたいよ”

無重力で浮遊 
果てのない空間 ぷかぷか
ぐるぐるまわる惑星乗って 
どこまでもゆけるよ


君がまだ知らぬ夜があり
僕がまだ知らぬ朝がある

私が知らない夜はどこ
あなたの知ってる朝が見たい




jazz and night

Frank Shinatraを聴きながら電車に揺られていたら 急に全然馴染みのない街に居る気がして窓の外に目をやると、夜がいつもより深い気がした


この感覚は小さい頃によくあったなあと、ぼうっとしていたら、やっぱり目的地とは反対の電車に乗っていました。
どうりで、馴染みないわけだ。

でもそれとは別に、夜にジャズを聴くとなんだか不思議な気分になるときがある。懐かしくて、同時に少しさみしい気分。
小さい頃、まだ保育園に通っていたとき、ほとんど毎週、金曜日の夜遅くになると家族で車に乗り込んだ。
目的地は、河口湖の別荘。「山の家」と私たちが呼ぶその家は両親が結婚直後に少し無理をして買った家だった。
「昔から別荘を持つのが夢で、テントでもいいから、休日は静かな山の中で過ごしたかったんだ。」父はそう言っていた。
そこはまるで、「大草原の小さな家」の、あの一家が暮らしていそうな家で、二階建ての一軒家。
木材で出来ていて、屋根は緑色。暖炉と煙突もある。
共働きで1週間を忙しく過ごした父と母は、仕事終わりの金曜日になると、まるで逃げるように荷物を車に詰め込んで、寝ぼけ眼の私と姉を車に乗せ、静かな森へと入った。
車に揺られている時間が、私はとても好きだった。
夜中に出かけることはいつだって非日常を感じてワクワクしたし、車の中から見る夜の街は、まるでスクリーンに映し出され映像のようで、それを演出するかのように父が流すマイルスデイビスやビルエバンスの音楽も心地良かった。
びゅんびゅんと流れていく高速のライトを見上げ、長い長いトンネルのオレンジ色の光を抜けると、黒くて背の高い木々がどこまでも道に沿って並んでいた。小さい頃の私は夜の森にはオオカミがいると信じていたので、いつもそこまで来ると怖くなって目を閉じた。
夜中に到着すると、母か父が眠る私を抱えて子供部屋のベッドまで運んだ。私は翌朝、窓から射す木漏れ日で目を覚まして朝がきたことを知る。それがあの頃の週末の過ごし方で、家族の時間だった。

日曜の夜になると、今度は夜の山を下りて、住み慣れた街、日常、月曜日に、戻った。
明日は起きて窓を開けても胸いっぱいに緑の匂いを吸い込めないんだと思うと、猛烈に帰りたくない気持ちが込み上げて寂しい気持ちになった。
長い長いトンネルが何時までも続けと願い、高速のライトを見上げながら、もっとゆっくり流れていけと祈った。
帰りの車の…

メモ

スーパーセンチメンタル 電車3本見送った ひとりになって少し泣きたくなった
人生は選択の連続だけど 私の選択、滅茶苦茶な気がする








浮かんでは消える日々の泡

最近ふと思い出して悲しくなる

時間は動いてるはずなのに、気付いたら戻ってしまいそう

空中ブランコみたい。手を伸ばしたり、掴み損ねたり。手を離されたら落ちて行くし。でも小説の中に生きてる訳じゃないんだから、もっとちゃんとしないと。

卒論発表会に向けて一生懸命にならないと。余計なこと考えるより野田の演劇に衝撃を受けて「こうしてはいられない」と思った気持ちの方が
ずっとずっと大事だ






はやくかえりたい

脳内プッシュソング。全然帰りたくない車の中で流した。




“はやくかえりたいのさ 今日はかろやかな気分なので あしたのことはわからないけど”

毎日旅に出るような気分でいられるのは ちゃんと輪っかの中にいるからなんだ

でももうすぐその輪っかからぽーんとはじかれてしまう 私大丈夫なのかな

引いてもらっていた両手を急にはなされたら よろけて地面に手をついてしまいそう

それでも前に進めればいいか






真空パックに入れたい夜

胃が痛いのも忘れるくらい楽しい夜だった

ガラガラの映画館で半分寝ながら映画観て
ブラックホールみたいな海の横を車で走って
あーでもないこーでもないってとりとめのない話をして
意味もなくコンビニに寄って、好きな音楽沢山流して


この夜が終わらなければいいなって思った
ずーっと夜の道路走り続けて欲しいって思った
色んな人との色んな思い出があちこちの風景に重なって浮かんで来たけど
きっとこれからは、この夜がまず最初に浮かぶんだろうな

普段は話してると時々苛々したりするんだけど、キャラメルポップコーンのカリカリじゃない部分を黙って食べてくれるから許そう

性別も関係性も、あんまり大事じゃない
心が触れているかどうかも図れない
ひとつの消えない時間を共有出来たんだから、それで十分

どうしようもなくひとりぼっちな気がしたらこの夜を思い出したい





山田詠美の短編に出てくるような

山田詠美の短編に出てくるような女の子みたいな気持ち
問いも要らない答えも要らない、だって何も欲しくないから。 夜中の電話で話すことも バスのステップに足をのせる時の気持ちも 泡みたいに消えていけばいい。
時々手を洗ったその水で、少しの濁りに気付くかもしれないけど、始まったら終わるし、そもそも始まってないし。
今はもう、ぷかぷか浮いていればいい。沈まなければ大丈夫。

しおり

素敵なプレゼント。





涙は人に見られてはじめて

一度や二度は転んでみようか 目の前で大きく転ばないと きっと気付いてすらもらえないし
このまま痣にも擦り傷にもならないように たった30分の思い出を大事にして 全部なかったことにするのは あまりにも、明日の、明後日の、いつかの、自分に酷いことをしている気がする
このまま春が来たって 何処へも行けない





zzz

今年は暖冬だからかな、あんまり具合が良くない。
冬は思いっきり寒い方が良い。

心の蓋がゆるくなると 色んな人の気持ちが流れ込んできて、抱えきれずに疲れてしまう

甘いものをいくら食べても心はいっぱいにならない




手紙

電話のすぐあとで手紙が着いた
あなたは電話ではふざけていて
手紙では生真面目だった
〈サバンナに棲む鹿だったらよかったのに〉
唐突に手紙はそう結ばれていた

あくる日の金曜日(気温三十一度C)
地下街の噴水のそばでぼくらは会った
あなたは白いハンドバックをくるくる廻し
ぼくはチャップリンの真似をした

それからふたりでピザを食べた

鹿のことは何ひとつ話さなかった
手紙でしか言えないことがある
そして口をつぐむしかない問いかけも
もし生きつづけようと思ったら
星々と靴ずれのまじりあうこの世で


手紙 / 谷川俊太郎


それはとても綺麗なのに目に見えない
確かに其処に在るのに見えない
言葉にすれば消えてしまって伝えることもできない

触ることも出来ないから
輪郭をなぞることも出来ないから
私は心でいっぱいにそれを抱きしめてみる

それは夜に溶けてしまう
電車に置き忘れてしまう

あるのかないのかも分からないもの













ぜんぶ夢のなか

時々あの部屋が夢に出てくる。

独房かなってくらい狭い部屋。

冷たい壁、高さのあるベッド、水漏れする冷凍庫、窓から見える交差点、服がぎゅうぎゅうに詰まったクローゼット、窓際に並べたシャンプーやボディソープ。お揃いのTシャツ、机の下の段ボール、安い鍋に焦げ付いたフライパン、

長い廊下だって、シャワールームのタイルの冷たさだって、全部思い出せる。聴いていた曲も、観ていた映画も、食べていた物も、嫌になる程覚えてる。


夜中に熱を出して、一人が心細かったこと。大げんかして、飛び出したこと。狭い部屋で、笑い転げたり、泣きわめいたり、歌ったり、眠ったり。

忘れられるわけがないんだ。だけど、忘れられないからって、同じ気持ちを持っているわけじゃない。

思い出は、思い出。

どんなに鮮明に覚えていても、心の中にそのときの気持ちはない


眠れない夜の楽しみ方

1.モコモコの靴下orスリッパを履く。

2.肌触りの良い寝巻きを着る

3.暖かい飲み物を用意する


これは甘酒。
4.好きな映画を観る。
出来ればあまり起伏の激しい物語じゃないのがいい。
「もらとりあむタマ子」最高。
5.脇には読みかけの本を置いておく。


誰かからのLINEにはもう返信しないでおこう。なんか手持ち無沙汰になったら本をパラパラ読めばいい。


そのまま朝を迎えたっていいし、眠くなったら眠ればいい。昼間に同じことするより、罪悪感も何もない。

夜中の自由時間。

「死ぬまでにしたい10のこと」

2016年、最初に観た映画。とても好きでした。







若くして結婚した23歳のアンが突然自分が余命わずかなことを宣告されて、その運命に向き合おうとする物語。アンには二人のまだ幼い可愛い娘と優しい旦那さんがいて、トレーラーで暮らしてる。決して裕福ではないけれど、幸せな家族。

邦題は「死ぬまでにしたい10のこと」 原題は「My life without me」


こっちの方が断然いい。

確かに、死を宣告された主人公は「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出すんだけど、それは例えば「毎日娘たちに愛してると言う」とか「髪と爪を変える」とかどれもわりと簡単に実現出来るものばかりで、なかには「娘たちが気に入る新しいママを見つける」とか「夫以外の人に付き合ってみる」とかもあるんだけど、これやらなきゃ死ねない!死ぬまでに達成するぞ!っていう執念じゃなくて、静かに死を受け入れる作業をしているように感じた。



私も主人公と同じ23歳。あと二ヶ月で死ぬって分かったら、運命を呪って、苦しんで、辛くてあがくだろう。
きっと、きっと彼女もそうなんだけど、この物語はそこに焦点を当てるんじゃなくて、むしろ“死”というフィルターを通したときにはじめて彼女が気付いた、世界の美しさや、生きている喜びを切り取っていた気がした。

私がすごくいいな、と思ったのは スーパーマーケットで、急に綺麗な歌をBGMに主人公以外の人々の動作がスローモーションになって、ただレジを打ってる人も、棚の商品に手を伸ばす人も、まるで踊っているように見えるシーン。


“ひんやりとしたスーパーが好き  お客は添加物が入ってないか食品ラベルを念入りに見る でも ため息をついて食品をカゴに入れる 有害だけど 好きだから 誰も死を考えない”

命が有限だということを本当に気付いたアンにだけ見える世界だ。

何より素晴らしいなと思ったのがアン役の女優さんサラ・ポーリーの表情の演技。

ふとみせる死を憂う顔、絶望が浮かんだ瞳、だけど後半のあるシーンで彼女が見せる笑顔は、酷な運命を受け入れた人だけがみせる表情だった。年末に亡くなった私のおばあちゃんも、亡くなる一週間前、別れ際あの笑顔で手を振ってくれた。



アンは「夫以外の人と付き合ってみる」っていう項目も実現するんだけど、一線踏み越えるときのシーンが最高にロマンチックだった。


というか、旦那さんとのシーン…

2016. new

新年あけましたね。 このブログも初めて数年。
今年も特に抱負は書きませんが 新しい気持ちで過ごしています。


紀伊国屋書店で洋書が20%OFFだったので、ルーキーイヤーブックを購入。翻訳版じゃなくてオリジナルで。



読むの時間かかりそうだけど、その分幸せが続く。






今年一年、なるべく優しい気持ちで過ごせますように。
これを読んでいる人たちも優しい気持ちで過ごせますように。