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ねてもさめても



日曜日の夕日が左目に入ると、右目の視力が悪い私はほとんど何も見えなくなって、少し困ってしまう。

耳から入ってくるスガシカオの曲が夕方に丁度よくて目を閉じると、片頭痛が少しましになった気がした。

ニュージーランドの狭い部屋もよく同じオレンジ色に染まった。
私はまだあそこにいるのかもしれない。それとも何か自分の欠片を置いてきたのかもしれない。

溝の口のアパートにも
14号館にも1号館にも
4号館の図書館にも

あの映画館にも
あの人の隣にも

小さな欠片を残したままだ


それから頭痛薬を二錠飲んで家から駅まで歩いた。








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野暮

つらつら書いた長文をそっと消した。変に綺麗な言葉でドラマティックにまとめるのは、今の私には野暮なことに思えてしまう。iphoneのメモ帳に並ぶ言葉はまるで小説の一ページみたいで、私の言葉じゃない気がして「なんか違う」と急に嫌になった。

ずっと聴いてた歌の意味は、分かったふりをして分かってなかったんだなって思う
聞き飽きるほど毎日聴いてたのに、一フレーズ目から違う風に聞こえた。
あの頃私がこの歌に心打たれたのは、こんな歌を歌う人が世界にいるなら、もう少しだけ未来を信じてみようと思ったから。出口のない日々の中で、いっそのこと、と思ったときも、この歌を聴くと、こんな風にいつか私も誰かを思う事が出来るのかもしれないから、もう少しだけ生きて大人になろうと思った。
そういうことを、最近よく思い出すのはなんでだろう。