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恋に落ちたものだけ




たった一枚のセーターとの出会いで
恋に落ちたものだけで生きていこうって決めた。

あんまりにも可愛くて頭がくらくらしたんだ。
ああ、私の思ってた「かわいい」なんて
ほんとにチープでありふれて取り換え可能な
退屈な「かわいい」だったなって気づいてしまうくらい。

すぐに売っている店舗を調べたら、「SOLD OUT」の言葉が出てきてもう一度頭がくらくらした。

いつもなら似たものを探す。半分くらいの値段で買えるものを探す。でも、そんな考え持てないくらい「これが欲しい」と思った。


そしてそれが恋だって思い出した。
恋は融通が利かない。
あれこれ事情は分かっていても
それじゃなきゃ駄目だって思う。
喉から手が出るほど欲しくて欲しくて
でも手が届かない気もして
自分じゃ見合わない気もして
それなのに私が手に入れるべきだって
根拠のない強い強い気持ちがある。

似たものじゃ意味なくて
似たものは偽物で
偽物に触れば、
より本物の恋の輪郭をはっきり感じる。
これは偽物、あれだけが私の本物の恋だって。

その服のブランドのデザイナーさんが
インタビューで自分の服を紹介していた。
ずらっと並んだ服たちはまるで色とりどりの宝石みたいで
私は自分のクローゼットを想像して、まるでガラクタ入れみたいだと思った。

でも私のガラクタ入れにも光る宝石みたいなワンピースがある。ずっと飾って眺めておきたくなるような一枚が。

それは去年の冬に母とニューヨークに行った時、ブルックリンの古着屋さんで見つけた半袖のロングワンピースで、シルクに少しざらつきを足したような不思議な黒い生地に、細かい赤と白の花柄が散らばせたデザインで、襟はレトロな形、腰の高い位置から足元へ向けてなだらかに広がるプリーツ加工があって、恋のない食事ばかりをして大きくなってしまった私の身体でも少し絞まって見せてくれるような、そんなワンピースだった。腰回りには生地と同色のリボンが通っていて、後ろで蝶々結びにすれば、アホみたいだけど映画「500日のサマー」でズーイー・デシャネルが演じるGood girlなお洒落が似合うヒロイン、サマーになった気分になるのだ。サマーは私の理想の「Good girl」だ。

その店に入って、一目見た瞬間、欲しいと思った。
誰かに取られたくない、私のものにしたいって。
こんなのキャラじゃないかなとか
これってドレッシーすぎるかなとか
色んなことが頭をよぎったのだけど
それも分かっていて
欲しいという気持ちが抑えられず買ってしまった。

そのワンピースはクローゼットの中で特別な存在だ。いや、実はクローゼットには入れていない。いつもはハンガーから肩がずり落ちていてもそのままにしてしまう私も、そのワンピースだけはハンガーに綺麗にかけて、壁に吊るしてある。

春や秋は上にカーディガンやジャケットを羽織って、
夏は一枚だけで、冬はその上にコートだって羽織る。
一年中、いつも着ていたいくらい特別な服。

着てるといつも会う人に素敵だと褒められる。
服が褒められると嬉しい。
そうでしょ、と鼻高々で笑ってしまう。
別に褒めてもらえなくたっていい。
恋に落ちた服を着ているとき、
「見合わない私でごめんね」と思いながらも
それを着ているだけで幸せなのだから。


それで話は最初に戻る。
恋に落ちた一枚のセーターは
YUKI FUJISAWAの「記憶の中のセーター」。

柔らかで幻想手的な色のセーターを着た自分を想像したら、夢見心地だ。このセーターを着たら、合わせるスカートも恋に落ちたものじゃないと。

そうしたら、その服を着て出かける所だって、ときめくような場所がいい。

もうそうやって生きていこうって思った。

息が止まるほど可愛いって思った服だけ着て
足元ばかり見て転んでしまうようなお気に入りの靴だけ履いて
手元ばかり見て仕事にならないようなネイルをして
見せびらかしたくなるような色に髪を染めて
心を震わせてくれる音楽だけ聴いて
いつまでも余韻が冷めないような映画だけ観て
いつも鞄に入れておきたくなる本だけ読んで

周りの音なんて聞こえなくなるくらい
深い深い海の中を気持ちよく泳ぐように書いて

日が暮れても帰りたくないような街だけ訪れて

頭の芯からとろけるようなご飯を食べて

恋に落ちた人とだけ恋をして生きていきたい。

それから、自分自身にいつも恋していたい。

そういう自分でいたい。


もう要らない。
今の私には恋しか要らない。

「人生のスパイスだ、全てには意味があるんだ、
苦しいも辛いも抱えていけば深みのある人間になるんだ」
そうやって自分を言いくるめるのにはもう疲れた。

心を締め付ける余計なもの全部要らない。

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