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2017.1.23


すごく疲れている。自分に。
「あれも出来るぞこれも出来るぞ」
「明日はこんな私になるぞ」

そんな自分の心に疲れている。
自分の抱える炎に疲れている。
私の持つ希望に。途方もない悲しみに。
私の気持ちは、壮大過ぎるのだ。

凍えそうな寒さや
熱く胃に落ちる珈琲に
ああ生きているなあと嬉しくなり

止まらない命と時間の刻みに
幼いときの記憶を思って涙が落ちる

私の気持ちは私が思うよりずっと
大きく強く波打って遠くまで行ける。

だけど私の身体はそんな心を抱えきれない。

身体はいつも心に振り回されて
心はいつも身体に縛られている。

明日という日は途方もなく自由なのに
夜と朝はまるでタイムカードのように
ただそこにあるだけだ

でも眼を閉じれば
私は何処までも深く潜れる
たった一人、卵の殻の中で膝を抱えて
透明な世界にプカプカ浮いていられる

私はずっと私のままだ

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