Skip to main content

十五夜に空を飛んで

シンガポールへ旅行に行った。

ローカルも観光客も分からないくらい人種も文化も混ぜこぜ。

暑い国特有の軽やかな空気。

昼間どこにいたのだろうと不思議になるほど、日が暮れると外に出てくる人の多さ。

夜は長くて朝も昼もあまり境目がない。

夕焼けのオレンジが濃い。

出来て70周年の新しい国は全てが人工的。

植物園、大きなショッピングモール、夜の動物園、

リトルインディア、チャイナタウン、アラブストリート

まるでひとつの大きなテーマパークのようなその国に住む人々は一体どこから来たのだろう。なぜそこに住むことを決めたのだろう。

私はそこでは誰でもない。日本人という名札すら捨てられる。

そこにいることは心細くて心地よくてひとりぼっちで自由。

ホテルのシーツは冷たくて気持ちが良くて、ここ最近で一番よく眠れた。

飛行機の中はなぜか色んな思い出が浮かんで来て涙が出た。

使い古された言葉を思い浮かべた。「人生は旅」、本当にそうだ。

どこを終着点とするか、誰と、どんなペースで旅するか。どんな風景を見るか。

それを知るために私は旅をする。自分探しとは上手く言ったものだ。


帰ってきてからはずっと胃が痛い。

やっぱり眠れなくてこうしてキーボードを叩く。





Comments

  1. この曲を覚えていますか。

    南半球で過ごしていた時に聞いたであろう曲。

    胃が痛い事と眠れない事は、錯覚なのでは。

    シンガポールで目にしたものと、夜よく眠れた事は、錯覚ではない。

    https://youtu.be/ZdgQ82boywc

    ReplyDelete
    Replies
    1. 懐かしくて、苦しくなりました。こんなに良い曲だったかな。聞こえ方が違います。

      Delete

Post a Comment

Popular posts from this blog

おなかが空いたから帰りたい

ふつふつと煮えたお湯、あちちと触る耳たぶ、半熟卵、とろりとした黄身、ひんやりマヨネーズ。文字面だけで楽しくてわくわくしてしまう。食べることは楽しい。何の為に生きてるんだっけ?とかそんなことを考えなくてよくなる。美味しいご飯を食べているとき、私はそのために生きているのだと思える。食べることは生きることだ。食べ方が粋な人は生き方も粋かもしれないし、見栄っ張りな食べ物ばっかり選ぶ人ってやっぱり見栄っ張り。食べることに無頓着な人は生きることにもあまり執着してなかったりする。(これは食べる量の話でもグルメかどうかとかそういうことでもない)
近頃変な食べ方をしなくなった。ちゃんとお腹がすくし、心と食欲はしっかり連動している。朝は食べないことが多いけど、ミルクとガムシロップを一つずつ入れたアイスコーヒーと無塩のトマトジュースがあれば十分だ。昼は自分で作ったご飯を食べるのが好きで、ちゃんと切った野菜や手作りのドレッシングを食べていると、自分が自分を大切にしていられることに少し安心する。夜は誰かが作ったご飯が食べたい。レストランでも、家でも、どちらでもいいから、ちゃんと火と気持ちの通ったご飯を食べると「今日も頑張ったね」と言われているような気分になる。出来ればあたたかいものが良い。休日の朝は手間暇かけたい。一晩卵液に漬けたフレンチトーストを焼いたり、丁寧にコーヒーを入れたり。朝をゆっくり過ごせる贅沢を味わい尽くしたい。そのあと二度寝するのも大好き。
食卓は生活で、帰る場所で、出かける場所だ。少し前まで恋人の部屋には食卓がなかった。背の低いガラステーブルにお皿を並べて、クッションに座り(もしくは正座)、テレビを見ながらご飯を食べていた。私はそれが嫌で、「ご飯をちゃんと食べたいし、食卓ではちゃんと会話がしたい」とぼやいた。するとしばらくして、恋人はソファーをどこかへやってしまった。一人暮らしのそう広くはない部屋だけど、ソファーが消えるとがらんとして広く見えた。だけどすぐにそこに背の高いテーブルセットがやってきた。椅子がふたつ、向かい合って座ることも出来る。そこにテーブルマットをひいて、恋人が作ったカレーを食べた。すっごく胃に沁みた。瀬尾まい子さんの「幸福な食卓」のワンシーンみたいだとか思いながらもぐもぐ食べた。平日の朝は私が何も食べないので、私が低血圧に苦しんでいる間に恋人は食卓でわりとし…