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Showing posts from September, 2017

眠気

夏風はもうすっかり秋風に変わった。9月が終わっていく。 私はずっとあくびをしていて、下瞼にたっぷり溜まった眠気に揺られて、いつまでも溺れていた。脳と視界がくらくらして手足はポカポカとあたたかく、少しダメになっている自分がそこにいた。恋ってこういうものだったかな、なんて記憶を辿りかけてやめる度に、どうしようもなく「今」しかないと気づく。



金木犀は月曜日の大雨で花を落としてしまったのか、もう香らない。一瞬だったなあ。好きな人と嫌いな人が色濃く分かる季節に、欠点なんて愛せるか愛せないかの問題だなと思う。長い人生(もしかしたら短いのかもしれないけど)で考えたら、そこに悩んでいる時間はとても勿体ない。あれもこれも欲しくて時間も体力もお金も足りない24歳。25歳は一体どんな1年になるんだろうと気になるけれど、25歳の1年よりもお昼休みまでの45分間をどうやり過ごすかの方が今は重要だ。

こんなに眠くて生きていけないと思った次の瞬間、すっきり目が覚めたりする金曜日。デスクでうとうとして、ああいけないと目を開けると服から彼の匂いがする。あと30分。30分経ったら眠って外へ行く。私たちは自分が思うよりずっとずっとたくましい。



文通

私はひとりが好きで、その人はひとりが嫌いで
それなのにお互いを選んだから、私たちは分からないことだらけだ

なんだか文通みたいだなと思う
私は何度も同じことを手紙に記す


・ひとりが好き
・だけど自分のことを知ってほしい
・愛情を大きく伝えるのが苦手
・恋には賞味期限があると思っているから少しこわい
・生き急いでしまう
・生活がだらしない
・思考があちこちに飛ぶ
・気持ちがふっと変わる瞬間がある
・秋冬は息がしやすくて夏は苦しい


ずっと繰り返していくことができたら、出会った意味を見出したりするのかもしれない。少し逃げ出したくなったりしながらも、厚みを増していく手紙の束が私に色んなことを教えてくれるのかもしれない。


「私たち」なんて言ったって、それは私と誰かのの他人同士。
私以外はみんな他人だから、分かったふりはしたくない。
25年一緒にいる家族のことだって、今もまだ分からない面がたくさんある。

彼の引き出しに入る手紙には、なるべく優しくて嘘のない言葉を書きたいと思う。
レシートの裏に油性ペンで殴り書きしたみたいな優しくない言葉を投げつけられた日に読みたくなるような、そういう存在であってほしいなと思う。

誰かに踏まれても、破られても、届けたい人にちゃんと届けばそれでいい。




night swimming

時々、一緒にいると不安になる。心がざわざわと心細くなる。世界中にひとりぼっちみたいな顔をしたその表情を私はよく知っているから。その人が抱える感情があまりにも強くて濃くて、私もそれを受け取ってしまうから、もう戻りたくない場所へ少しだけ連れ戻されてしまう。谷川俊太郎の「20億光年の孤独」の「万有引力とは引き合う孤独の力である」という一節を思い出す。出会うべくして、なのかもしれない。私はその人が閉じこもってしまう場所をよく知っている。そこは例えるなら、終わらない夜に忍び込む誰もいないプール。膝を抱えて沈めば、ゼリーみたいな水にどこまでもどこまでも潜っていける。何の音も聞こえなくて、光も差してこなくて、冷たくもあたたかくもなくて、ただそこに身を任せて沈んでいくだけ。前の私なら一緒になって沈んでいっただろう。そこは何もないけれど、少し居心地がいいから、つい長居をしてしまう。眠ったり起きたりしながら朝も昼も夜もなくなって、溺れたことにすら気がづかずに時間が経っていたりする。ああこのままじゃだめだと、そこから何度も水面に手を伸ばしては、水面まで顔を出し息継ぎをして、またすっと潜っていくのを繰り返していた。でも水面上に光る月がどうしても見たくなって、水圧に抵抗しながら懸命に上へ、上へともがいた。ようやく足がつく浅い場所に辿り着いたときには身体はすっかりふやけていたけれど、力を抜けば仰向けに水に浮かんで月を眺めることが出来ることにも気づけた。


その人はまだ光の届かない深いところにいるのかもしれない。今なら私は勇気を持ってそこまで潜っていける。どんなにそこが静かで居心地が良かったとしても、絶対に手を引いて水面まで一緒に上がってみせたいって思える。ああ疲れたね。指がまだふやけてるって笑いながら、月を眺めて一緒に帰りたい。何度もそこへ戻ってしまうなら、何度もそこへ迎えにいけばいい。いつか道を忘れてたどり着けなくなってしまうまで、何度も迎えに行けばいい。








一番最初の金木犀の香り

秋がきて、気付いたらどんどん元気になった。ぎりぎりのところで、それでも腐らないでいたら、ちゃんと良いことが沢山あった。この秋初めての金木犀の香りに気付いたとき、隣には好きな人がいて、その瞬間、驚くほど満ち足りた気持ちになった。心の中の色んな角が取れて、まあるくまあるくなっていくような気がした。手の甲に、こめかみに、身体の奥の方に、あたたかい光が流れていくような感覚がした。私もちゃんと物語の主人公なんだな、と幸福で同時に誇らしい気分になった。

だけど、そんな奇跡みたいな瞬間は本当に瞬間だって知っている。知っているからこそ、しっかりと切り取って心の中に思い出として残しておく。辛い時にはそこからそっと会いたい人や味わいたい気持ちを取り出して、ああこういう瞬間があるから今までやってこれたな、これからもきっとこういう瞬間があるから生活を続けようって思えたりする。

もちろん私は本当に欲張りだから、その奇跡みたいな瞬間を日常的に味わいたいと思ってしまうし、もっと素敵な奇跡を見てみたいと思ってしまうし、少し嫌なことが起こるとそのことで頭がいっぱいになって「選択を間違えちゃったなあ、私はだめだなあ」なんて簡単に思ってしまいがちだけど、どんなに行き詰って先が見えない状況になっても、今まで起こったキラキラした一瞬はなかったことになんてならない。それをちゃんとわかっていれば、私は何度でも自分を持ち直せるっていつも思う。