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冷えた朝の空気とか


どうでもいい惰性の恋愛なんて耐えられない。それならひとりで本を読んだり映画を観たりしてあれこれ考えてる時間の方がずっと豊かな気持ちになる。お互いがいないとダメになってしまう恋愛も友情も楽しくない。自立したひとりずつが手を取り合ったときにもっと大きなエネルギーになる方がワクワクするから。恋愛とか、彼女とか、親友とか、形式の言葉が苦手。

確かに、意味のないものなんてひとつもないんだけど、どうでもいいものは本当にどうでもいいと割り切る勇気を私は持ってたい。私が大切だと思うものは、人がどうでもいいと笑っても絶対に大切にする。冷えた朝の空気の中で考え事をする時間とか、髪の毛のサラサラする調子の良さとか、私が好きなものは私がちゃんと大切にする。




星野源は「くだらないの中に愛がある」と歌うけど、それは彼が日常に本気で向き合っているからこそ気づける尊いもの。


いつだってふいに死んでしまうのが人間だ。生きている意味をもっともっと感じたいから生きている。「考えすぎだよ」と言われても、思考することをやめられない。「些細な日常の幸せに人生の意味はあるんだよ」と言われても、テンプレのそれを得て満ちたりた気持ちになるなら野心と夢をちゃんと形にするまで満たされてたまるか、くらいの気持ちでありたい。自由に身軽に生きてたい。でも分かち合いたいし寂しいのは嫌だ。矛盾だらけの私でいたい。明るく朗らかにのびのびと生きられる場所に住みたい。綺麗になんてまとまれないし、物分かりの良い恋人にも娘にも部下にもなれなくていい。私は自分が惹かれたものを信じて、それを大事にする。恋愛も会社も家族、私が選んだ大事なもの。それは鎖じゃないから、私はいつだってどこにでも行ける。

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恋人の話

恋人の話を何度も書こうとしてやめた。言葉が追いつかなかった。言葉にしたら嘘みたいで、作り物みたいで、それも嫌で。

「金木犀が香る頃手を繋ぎ始めたその人の隣で、私は沈丁花の香りが連れてくる春に気づいた。」

ほらもう、嘘みたいだ。

私は恋が好きで、一生恋に恋して生きてくのかもしれないなあと、半ば人を好きになることを諦めていた頃に、今の恋人に出会って、気づいたら恋よりその人自身を好きになっていた。

掻き立てられて走り出して会いに行ったり、分かってるのにどっちも言い出さなかったり、そんな瞬間は最高だけど、その先にはもっと素敵なものがあることを今の恋人が教えてくれた。


本当に好きになったら、その人の替わりはいないみたいだ。優しさも脆さも強さも、恋人を作る要素すべて、ひとつだって欠けたらだめ

ふとしたときも、そうじゃないときも、だいたいいつも恋人のことが頭をよぎるし、開いた本の失恋物語も、いつか自分が体験するのかもしれないと思うと泣きそうになる。春の夜に観覧車にも乗りたいし、ワインを飲みながらずっと話していたい。私がおばあちゃんになっても手を繋いでほしいし、私の25歳の春も夏も秋も冬も、どんなシーンにもそこに恋人がいてほしい。毎日台風で、布団の暗がりの中で生きていけるなら最高だ、いっそ猫になって隣で丸くなって眠れたらどんなに幸せだろう、そんなことを思うほど、この恋を失うのが怖い。


早く夏が来てほしい。だってまだ夏の夜にアイスを買いにコンビニまで散歩したことないから。もしもこの恋が終わってしまったとしても、きっと私は何度も、幾つになっても、最初に恋人の部屋に行ったあの夜と、展望台からの夜景のことを、思い出す。


ほら、結局、恋人に関して、言いたいことなんてまとめられない。

締めの言葉も見つからない。だからそれっぽいことを書いておこう。

「世界は広いけど、恋人がいる場所が宇宙の真ん中だ。」