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命を燃やす人

もう一年近くが過ぎるのに、雨宮まみさんが死んでしまった衝撃は、今も私の心に引っかかったままだ。

「書きたいことが書きたい。いい文章が書きたい。お金とかそういうことじゃなくて、これが私ですと言えるような、そういう文章をひとつでもいいから書きたい。そうじゃないと、人生なんてあっという間に終わってしまう。(略)嘘をつくのはやめよう。対外的にいい顔をするのはやめよう。できもしないことを、無理してできるふりをするのもやめよう。今年だけでもいい、嫌なことは嫌だと、できないことはできないと言おう。私は、私の人生を生きる。だって、もうそんなにたくさん残ってるわけじゃない。まだ若い、けれど、永遠に続くわけじゃない。生命自体は続いても、体力も気力も充実していると言える期間がどれだけ続くかわからない。私は、私のしたいことをする。私は、自分の書きたいことを書く。そして私は、なりたい私に、本来そうであった生身の私になるのだ、と思った。」引用:「40歳がくる!」より

自分の書いた言葉かと思うほど、私は雨宮さんとある部分の思考が似ている。似ているから彼女の文章が好きだった。命を燃やして紡ぐ言葉が好きだった。雨宮さんが突然死んでしまったとき、やっぱり人生はふいに終わってしまうのだなと、したくなかった答え合わせをしてしまったような気持ちになった。

それでも私は命を燃やして作る人が好きだ。雨宮さんがもう言葉を生み出すことがなくても、雨宮さんの書いた言葉に私はこれからも何度も救われる。その言葉は時間とともに私にとって意味を変える。雨宮さんの声はずっと生き続ける。命を燃やし身を削って何かを生み出すことは死へ向かうことではないと思いたい。命をそこに乗せられるだけの想いがあるということ。それは時間を超えて届くということ。そういう音楽や舞台や言葉が持つ力に私はいつも引力のように吸い寄せられる。国や時代に関係なく、深く共鳴する。太宰、ゲーテ、サガン、ビルエヴァンス。そういう自分の心の真ん中に容赦なく入ってくる音楽や言葉。雨宮まみさんの叫びのような文章もそうだ。星野源が日本中に届けようとする丁寧な言葉や穏やかな優しさ、野田秀樹が狂気的に生み出す舞台の上の爆発的なエネルギーと、そういう人が私の情動を動かす。

死んでほしくない人達。ずっと発信し続けてほしい人達。雨宮まみさんもそうだった。だから私は今も雨宮さんの言葉が聞きたくなると「40歳がくる!」にアクセスしたり「東京を生きる」を開く。

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恋人の話

恋人の話を何度も書こうとしてやめた。言葉が追いつかなかった。言葉にしたら嘘みたいで、作り物みたいで、それも嫌で。

「金木犀が香る頃手を繋ぎ始めたその人の隣で、私は沈丁花の香りが連れてくる春に気づいた。」

ほらもう、嘘みたいだ。

私は恋が好きで、一生恋に恋して生きてくのかもしれないなあと、半ば人を好きになることを諦めていた頃に、今の恋人に出会って、気づいたら恋よりその人自身を好きになっていた。

掻き立てられて走り出して会いに行ったり、分かってるのにどっちも言い出さなかったり、そんな瞬間は最高だけど、その先にはもっと素敵なものがあることを今の恋人が教えてくれた。


本当に好きになったら、その人の替わりはいないみたいだ。優しさも脆さも強さも、恋人を作る要素すべて、ひとつだって欠けたらだめ

ふとしたときも、そうじゃないときも、だいたいいつも恋人のことが頭をよぎるし、開いた本の失恋物語も、いつか自分が体験するのかもしれないと思うと泣きそうになる。春の夜に観覧車にも乗りたいし、ワインを飲みながらずっと話していたい。私がおばあちゃんになっても手を繋いでほしいし、私の25歳の春も夏も秋も冬も、どんなシーンにもそこに恋人がいてほしい。毎日台風で、布団の暗がりの中で生きていけるなら最高だ、いっそ猫になって隣で丸くなって眠れたらどんなに幸せだろう、そんなことを思うほど、この恋を失うのが怖い。


早く夏が来てほしい。だってまだ夏の夜にアイスを買いにコンビニまで散歩したことないから。もしもこの恋が終わってしまったとしても、きっと私は何度も、幾つになっても、最初に恋人の部屋に行ったあの夜と、展望台からの夜景のことを、思い出す。


ほら、結局、恋人に関して、言いたいことなんてまとめられない。

締めの言葉も見つからない。だからそれっぽいことを書いておこう。

「世界は広いけど、恋人がいる場所が宇宙の真ん中だ。」