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Showing posts from November, 2017

25歳

25歳になった。

目の前の現実と自分の心の距離がだんだん開いていく音は鳴りやまない。
でも目の前の、今いるここが現実だ。ここにしか私はいない。
表現は逃げ場じゃない。
私には表現なんかなくて、情動しか持っていない。
情動がなくなってしまったら、私も人生も滞ってしまう。

今の私は何も綺麗にまとめられない。
ちぐはぐで不安定でいつもバラバラ。
綺麗にまとめようとするほど嘘が増えていくから嫌だ。

真空パックに閉じ込めたい瞬間を宝箱に入れていつまでも愛でていたいけど
それじゃ誰かの表現にお金を払うことが出来ないし
表現だけを見ていても旅行にも行けない

見せたいものを見せてくれる人に嫉妬する
名前より前に生まれた年を見てしまう
渇望する世界を指をくわえて見ている25歳の私を
10年前、15歳の私が見たらどう思うのだろう

感情が止まらない今の私は情動の塊だ
穏やかな人に憧れたけど
大人な女性に憧れたけど
書きたい物や言いたいことがそのまま私なんだとそう思う

25歳なんて何が変わったかな
髪が伸びてお化粧が上手になった
恋人も友人も家族もいる
社会人なんてピンキリだと知った
あの街にはあまり行かなくなった
本は買うけど読みかけのものばかり
お菓子や甘いものは前ほど好きじゃない

生きることを考えるとやっぱり不思議な気持ちになる
見栄や嫉妬は虚しいけれど一生懸命に生きていたら切り離せない

自分の中にある感情やエネルギーを吐き出していきたい
愛したり食べたり書いたり月に祈ったり
何かになりきることは難しいことじゃないけど退屈だ
自分の中のエネルギーを吐き出していかないと死んでしまう
情動に突き動かされて何かをしているときは生きている

25歳の私は全然穏やかじゃなくて
こんなまとまりのない言葉を吐き出している





palette

« I like it, I'm twenty five≫

the song for my twenty five



書いては消して

聞き慣れた歌のフレーズの意味に気付いたり、読み終わった本の台詞をふいに思い出す瞬間が、ひとつふたつと増えていく。花びらをちぎってつぶして作った色水みたいに、透明さを残した優しい色で少しずつ変わっていくのは私と世界のどちらだろう。

まじりっけのない気持ちに触れる度、真っすぐな気持ちに胸を打たれる度、自分と向き合って、これでいいのかなと立ち止まったり、私に何が出来るかを考えたりするけれど、今日をゆっくりと消化していくこと以外に何も答えを見つけられない。
何かに焦がれることは、自分や大事な人をがんじがらめにする鎖じゃない。世界がすっかりペンキで塗り替えられたように色を変えたなら、なんて願いも持っていない。絶対、なんてどこにもない。書いては消してを繰り返した末に残した文章ですら、数日経てば、なんだか嘘っぽく見えたりするものだ。

今はただ下書きのような時間や立ち止まって迷う時間が愛おしい。この時間から振り落とされずに同じ場所へ辿り着けたらと願う気持ちが、手のひらから伝わりますように。



月曜日

「磨くのは可愛い演技をした自分じゃない、魂だよ、賢くなって、馬鹿のふりするんだよ、罵られることに鈍感になってはいけない」
休み時間にtwitter開いたら東佳苗さんの言葉が飛び込んできて速攻ハートマークを押した。縷縷夢兎みたいな暴力的な程に可愛い洋服、誰でも着れるわけじゃない。魂が強い子じゃないと着れない。翼のように軽そうで、鎧の様に重そうな服。 縷縷夢兎は私のどんぴしゃ可愛いとは違うステージ(というかリング)にある世界だけど、それでも縷縷夢兎を見てると否応なしに突き付けられる絶対的な可愛いの強さに、少し苦しくなってしまう。私だって賢くなって、強くなって、努力なんてしてませんみたいな顔してふわふわ可愛くしてたい。可愛いの最大公約数みたいな女の子にはなれないけど、愛嬌も柔らかさも、全部私の武器にして私だけの「可愛い」をポイントみたいに沢山集めたい。可愛い服を着たい。可愛い顔になりたい。誰か別の人になりたいんじゃなくて、今の自分をもっと好きになって、好きな人にもっと好きになってもらいたい。何年前の自分がベストだったなんて、そんなの耐えられない。
「神様より太ももの隙間を信じてる」
これは19歳とかそのくらいの私が書いた言葉。若気の至りでも、中二病でもなく、確かに私の心からの言葉だった。それが世界の絶対ではないことは大人になって気付いた。今でもやっぱり太ももの正しい隙間、前髪の正しい長さ、そういうのは私の心をかき乱したり守ったりするけど、それでも私はちゃんと知っている。太ってても痩せてても顔が整っていても整ってなくても、女の子はみんな可愛い。可愛いには多様性がある。テンプレの可愛いはもう古い。
可愛いは正義か、呪いか、それともお守りか。自分だけの、誰とも被らなくて誰にも壊されない、強い強い「かわいい」を来年こそは手に入れられるのだろうか。恋人は少し心配そうな顔で「今のままでいいのに」と呟く。そういう言葉は私のストッパーになるし、ああそうか可愛いと愛されるのはイコールじゃないんだなと正気に戻れる。でもやっぱり「可愛い」と言われると体温が上昇して血の巡りがよくなって心にも体にもいい気がするし、何より私が私を好きでいられる。

若さは有限。若いことはえらいことではないけれど、公平に与えられた自分の可能性ではあると思う。だからこそ、こんな時間に帰路についたって、薄給だって、やっ…

戦うあの子たち

大好きな女友達と深夜に久々に話したら、一気に心にブーストがかかった。女友達はかけがえのない財産だとつくづく思う。私には「戦友」としか呼びようがない女友達が何人かいる。というか、気心知れずにあれこれ話せる女友達は全員「戦友」と言っても過言でないほど、私にとっての彼女達はそれぞれの戦地で、それぞれの武器を持って、人生に挑んで戦う仲間だ。しかもこれは私の一方的な感覚ではないようで、彼女たちの口からもやっぱり「なんか、戦友感あるよね」なんて言葉が出たりする。

 私たちに共通しているのはなんだろうと考えると、負けず嫌いだったり向上心が強いが故に、理想と現実のギャップや、色んなしがらみに苦しんで闘ってたりするところかもしれない。仕事しかり恋愛しかり、自分でハードルをどんどん上げて、「乗り越えられるのか・・?」と苦しむ私たちは、完全にハンター気質で何かを手に入れることに燃える(燃え尽きることましばしば)タイプだ。あと、どこに居ても誰と居ても自分を持ってたくましく生きていける子というのも共通してるかもしれない。

私たちは頻繁に連絡を取り合うでもなく、定期的に会うわけでもない。学校とか会社とかの大きな団体の中で偶然出会って、人生の中のある一定の期間、物凄く深く濃い時間を共有して、その間はとことんお互いを信頼し合って一緒にいて、時には辛いことや困難を乗り越えて、沢山楽しいことをして、ある時期がきたら「じゃあここで!私も頑張るからそっちも頑張って!なんかあったら連絡して!」とサクッと別れてそれぞれの道を歩きだした、そんな関係だ。

時々「女子会」ではなく「近況報告会」という名の人生の進捗を報告し合う会を開く。ふわふわしたパンケーキを食べながら全然ふわふわしていない話をしては互いを激励し合う。ある時期の人生が交差して、また別の道へ分かれたとき、恋人ならそれきりだろうけど、女友達は違う。どこにいても、しばらく会っていなくても、いつも心の奥底では繋がっていて、SNSにアップされる些細な投稿ひとつで相手の状況や心境をかなり正確に感じ取ったりする。ああ今結構追い込まれてるな、とか、だいぶ強くなったな、新しい武器手に入れてる、とかそういうのを互いにしっかり把握している。

 当たり前だけど、SOSが出た時は最優先で駆け付ける。私たちは弱いから強くなりたいと思う。武装していないとボロボロになってしまうから、頑丈…

野暮

つらつら書いた長文をそっと消した。変に綺麗な言葉でドラマティックにまとめるのは、今の私には野暮なことに思えてしまう。iphoneのメモ帳に並ぶ言葉はまるで小説の一ページみたいで、私の言葉じゃない気がして「なんか違う」と急に嫌になった。

ずっと聴いてた歌の意味は、分かったふりをして分かってなかったんだなって思う
聞き飽きるほど毎日聴いてたのに、一フレーズ目から違う風に聞こえた。
あの頃私がこの歌に心打たれたのは、こんな歌を歌う人が世界にいるなら、もう少しだけ未来を信じてみようと思ったから。出口のない日々の中で、いっそのこと、と思ったときも、この歌を聴くと、こんな風にいつか私も誰かを思う事が出来るのかもしれないから、もう少しだけ生きて大人になろうと思った。
そういうことを、最近よく思い出すのはなんでだろう。




mellow

甘くて切なくてポップでメロウ
雲の上をふわふわ浮くようなのに
ベッドルームの小宇宙みたいな
そんな音楽に出会って嬉しい

例えるなら
夏の夕方に浜辺で見る夕焼けの色
ふと思い出す遠くて甘い記憶
寝すぎたときの少しだるくて気持ちいい感じ
そいういう音楽が今は心地いい




メロディーもリリックもMVも名前を裏切らないフィリピンのアーティスト


それからこの曲に惹かれて仕方ないのに、私の検索能力でも見つからないバンド。 「The lucys」どこの国の誰なのよ



生きる工夫

6月みたいな生ぬるくてじめっとした空気に追い打ちをかけられた朝、負けたくないと思った。迷わずゆるっとしたパーカーを着たのは包まれてるようで安心するから。昨日の帰りに買ったLUSHのクリスマス限定の洗顔料で顔を洗って、久しぶりにアイラインを薄くひいて、下瞼にピンク色をのせた。駅のホームでは目を閉じてのらねこちゃん(のらねこちゃんの話 )に会った日のことを思い出して、電車では大島智子さんの描く女の子たちをぼうっと眺めたり、今日を乗り切る為のプレイリストを作ったりした。記憶から、目から、耳から、色んな「処方箋」を自分にあげていたら、少しだけ心から角質みたいなザラザラしたものが落ちていくのを感じた。こういう生きる工夫なら、小さい頃から少しずつ貯めてきた。おばあちゃんになる頃には歩くライフハックメディアになれるかもしれない。電車を降りたところで、今日を乗り切る為に必要な本を思い出して彼に「持ってきて」と頼んだ。そんなことを朝から頼める存在がいること自体、何よりの処方箋だ。自分を無条件に受け入れてくれる人の存在は尊い。家族がそうであるように、彼も「今の私のまま存在していい」と思わせてくれる。「ありのままの私が好き」とか「人生は上手くいかないから面白い」とか、そういうことを心から言えるほど成熟した人間にはまだなれていないけど、本当は楽しくないのにふわふわ楽しいふりをしているときより、どっぷりと辛さに浸る方が私は生きている実感が沸くのはなぜだろう。今日の朝より苦手なのは、楽しくなかったなあと思いながら歩く朝帰り。あんなのは人生で何回か経験すれば十分だと思う。それより、眠れないなあと途方に暮れながら朝を迎える方が私には合っている。
さっき頬に触れたら、朝使ったLUSHの洗顔料のおかげか、昨日より肌がなめらかになって、それだけで少し嬉しくなった。昨日の私がボロボロになりながら「明日の私のために」としてくれた少しの工夫は確実に今日の私を助けてくれている。自分の人生がちっぽけに思えて嫌になった昨日に比べたら、左の頬の滑らかさを好きだと思える今日はずっとましだ。


眩しい

眠気と煩わしさの区別がつかない。カフェインの錠剤は口に放り込んだ瞬間気が変わって、ガムみたいに紙に吐き出して捨てた。急に全部がくだらなく思えてしまうのは周期の問題?同じ歌が頭の中に延々流れる。「帰ってきたら教えてね東京で待ってるから そんな安っぽい言葉で繋ぎ止めようとした」適当につけたような軽い空気を含んだ名前で、心のドロドロした部分を叫ぶのは、彼女なりの予防線かもなんて、勝手に想像している時点で彼女のブランディングの策にはまっている気がする。彼女の何が好きって、汚く見られてもあざとく見られても、たとえ大多数に否定されても、自分の欲しいものを取りに行くところ。一見なりふり構わずやってるようで、美学があるところが格好いい。誰にも触れられない二十歳の才能、眩しくて羨ましくて、嫌になる。

本当は周期の問題じゃない。ただ今に意味を見出せてないだけって気づいてる。ずっと考えてはいるけれど、もうすぐ25歳になるから余計に気持ちが落ち着かない。今まで何も残してこなかったわけじゃないのに、何も残してこなかったような気がして、何かにあたりたくなるくらい、むしゃくしゃする。もっともっと追求したい、もっと知りたい、だんだん鈍くなっていく自分がこわい、過多くらいでちょうどいいのに。でもこの感情をまだ持てるから私は私のままでいれる。この野心もなくなってしまったら私には本当に何もない。今は感覚を頼りに生きていたい。すぐに答えが出なくてもいいから、表現だけをし続けたい。振り切って消えてしまうくらい強い気持ちだけを燃料にして前に進みたい。全部の音がうるさくて、今すぐここを飛び出したい。余計なものが多すぎて耐えられない。


息苦しさ

また11月がやってきた。秋になって呼吸が楽だけど、常に団体の中で作業をしているだけで、少しずつ少しずつ、ネジがサビ始めているのを感じる。

もう今月で25歳になるっていうのに、夜になると不安になってまだ子供みたいに丸くなって寝てしまう。心の底のゆらゆらした不安は当たり前のようにずっとある。少し気を抜くと、またお風呂場でゴミのようにうずくまっていた日々に戻ってしまうのを知っているから、必要以上に気を張って、まるで戦闘モードのような気持ちで会社へ向かう。取り繕ったり、見栄を張るのだけはどんどん上手くなって、変に言葉を綺麗にまとめて「大丈夫」の皮ですべてをくるみ込む術も覚えた。

ずっと「楽しい」「まだ頑張れそう」と言っていないとダメになってしまいそうだ。

頭に流れてくる思考や心に押し寄せる不安にどうしようもなくなって好きな人の胸に顔をうずめるとき、もうこのまま子供に戻れたらいいのにと思う。弱いところも見せていいよと彼は言うけれど、私はこんな自分が弱いか強いかも分からない。ただ行き場のない感情がずっと猫みたいに私についてくる。私はその猫を膝に抱えたり、距離をおいたり、時々一緒に眠ったりして過ごしている。

世界はしょっちゅう息苦しい場所になるし、いちいちそれに立ち止まっていたらどうしようもないから、たくさん嘘をつきながら朝と夜をリレーする。
人に良い影響を与える人間でありたいと願えば願うほど、無性に自分のことが気に食わなくなる。明日をもっとよくしようと思えば思うほど、朝がくるのがこわい。

黄色い蛍光灯は息苦しさを加速させる。電話の音は心臓に響く。電車の中で不意に泣きたくなる。もう戻らない、もうあの毎日には戻らないぞと抗うことにも疲れてしまう