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Showing posts from 2018

日々

恋人が「これあなた好きそう」と言うときは、本当に毎回、私の趣味にぴったりだから驚く。昨日は「独身女性が毎回やさぐれながらご飯を作る韓国ドラマ」っていうすごくニッチなものですら、概要話しただけで(ほぼこの通りに言った)「ああ、好きそうね」と言ってきた。なんで分かるんだろう、ほんとにすごい。 恋人は優しい。今まで出会った男性の中で1番優しい。優しくて優しくて、その1番の優しさがどうか他の人に向きませんように、ああこの優しさを過去にも誰かが貰っていたのか、と思って無駄な嫉妬心を抱いてしまうほど、優しい。
普通の男性なら怒るところを怒らないし、つまらないプライドが全然ない。だけど誇りも芯もある。加えて、愛嬌と可愛らしさもある。誰が見ても好青年だし、誠実だ。不器用なところもあるけど、器用な嘘つきより、不器用で一生懸命な人の方がずっとずっと魅力的だ。
恋人の隣にいるととても安心する。ありのままの自分を受け入れてもらえることはこんなにも素晴らしい気分になれるんだなあと私は生まれて初めての気分を毎日発見する。

夜はよく眠れるし、苦手な朝も少しだけ頑張ろうと思える。私は素直じゃないから、少女漫画かってくらい本人の前では意地悪なことばかり口にしてしまうのだけど、本当はいつも、恋人のことを考えている。
わかち合う日々は、愛しい。 雨の匂いとか、犬が可愛いとか、さぼりたいねとか、そんなことを言い合える日々。
梅雨が終われば夏がくる。平成最後の夏だ。必死に紫外線と直射日光を避けながら、私はあなたと色んなものを見て、食べて、聞いて、考えて、この夏を駆け抜けたい。




おなかが空いたから帰りたい

ふつふつと煮えたお湯、あちちと触る耳たぶ、半熟卵、とろりとした黄身、ひんやりマヨネーズ。文字面だけで楽しくてわくわくしてしまう。食べることは楽しい。何の為に生きてるんだっけ?とかそんなことを考えなくてよくなる。美味しいご飯を食べているとき、私はそのために生きているのだと思える。食べることは生きることだ。食べ方が粋な人は生き方も粋かもしれないし、見栄っ張りな食べ物ばっかり選ぶ人ってやっぱり見栄っ張り。食べることに無頓着な人は生きることにもあまり執着してなかったりする。(これは食べる量の話でもグルメかどうかとかそういうことでもない)
近頃変な食べ方をしなくなった。ちゃんとお腹がすくし、心と食欲はしっかり連動している。朝は食べないことが多いけど、ミルクとガムシロップを一つずつ入れたアイスコーヒーと無塩のトマトジュースがあれば十分だ。昼は自分で作ったご飯を食べるのが好きで、ちゃんと切った野菜や手作りのドレッシングを食べていると、自分が自分を大切にしていられることに少し安心する。夜は誰かが作ったご飯が食べたい。レストランでも、家でも、どちらでもいいから、ちゃんと火と気持ちの通ったご飯を食べると「今日も頑張ったね」と言われているような気分になる。出来ればあたたかいものが良い。休日の朝は手間暇かけたい。一晩卵液に漬けたフレンチトーストを焼いたり、丁寧にコーヒーを入れたり。朝をゆっくり過ごせる贅沢を味わい尽くしたい。そのあと二度寝するのも大好き。
食卓は生活で、帰る場所で、出かける場所だ。少し前まで恋人の部屋には食卓がなかった。背の低いガラステーブルにお皿を並べて、クッションに座り(もしくは正座)、テレビを見ながらご飯を食べていた。私はそれが嫌で、「ご飯をちゃんと食べたいし、食卓ではちゃんと会話がしたい」とぼやいた。するとしばらくして、恋人はソファーをどこかへやってしまった。一人暮らしのそう広くはない部屋だけど、ソファーが消えるとがらんとして広く見えた。だけどすぐにそこに背の高いテーブルセットがやってきた。椅子がふたつ、向かい合って座ることも出来る。そこにテーブルマットをひいて、恋人が作ったカレーを食べた。すっごく胃に沁みた。瀬尾まい子さんの「幸福な食卓」のワンシーンみたいだとか思いながらもぐもぐ食べた。平日の朝は私が何も食べないので、私が低血圧に苦しんでいる間に恋人は食卓でわりとし…

心が動くままに

ゆっくりと心が死んでいく。心の筋肉が衰えて、代謝が下がって、動かしたくても動かせなくなっていく。季節は気付かない間に過ぎて、老いは突然にやってくる。静かな絶望。逃げられるのに逃げない私は、一体何に期待をしているんだろう。いや、何にも期待できないから、逃げる事すらしないだけだろうか。「好きなことを仕事にしなさい」と謳う人がどんどん増えている。じゃあ私の好きはなんだろうと考えてみたときにもう、好きを感じられなくなっていたら、どうしよう。ここには何も、欲しいものがないよ。それだけ分かるなら、好きなものを探しに出かけようか。出来れば君にも一緒に来てほしいけど、これは私の人生だから、私は一人で決めなきゃいけない。誰も守ってくれないことを私はまだ認めることができない
海に溶ける夕陽が見たい。緑が朝露に濡れる匂いを体いっぱい吸い込みたい。旅に出て心を弾ませたい。不安になったり、切なくなったり、明日に心をときめかせたりしたい。
誰に強いられたわけでもないのに、どうして自分の生き方ひとつ、自分で選べないんだろう。

おばあちゃんになるまでやりたいこと取っておくなんて出来ないよ。私、ショートケーキはイチゴから食べたい。

明日消えてなくなってしまうなら、私は私が綺麗だと思う世界の全てを言葉をのこしたい。

5月とは思えないほど冷え込んだ朝に、私も季節違いの夢を見た。 懐かしい人の夢だった。 妙に冴えた起き抜けの頭で、あの日々を思い出していたら、出会ったときのその人の年齢を自分が数年前に超えてしまっていたことに気付いた。最後に渡した手紙を、今でも持っていてくれてるんだろうか。私はたった一言以外、何を書いたかは忘れてしまったけれど。

恋人の話

恋人の話を何度も書こうとしてやめた。言葉が追いつかなかった。言葉にしたら嘘みたいで、作り物みたいで、それも嫌で。

「金木犀が香る頃手を繋ぎ始めたその人の隣で、私は沈丁花の香りが連れてくる春に気づいた。」

ほらもう、嘘みたいだ。

私は恋が好きで、一生恋に恋して生きてくのかもしれないなあと、半ば人を好きになることを諦めていた頃に、今の恋人に出会って、気づいたら恋よりその人自身を好きになっていた。

掻き立てられて走り出して会いに行ったり、分かってるのにどっちも言い出さなかったり、そんな瞬間は最高だけど、その先にはもっと素敵なものがあることを今の恋人が教えてくれた。


本当に好きになったら、その人の替わりはいないみたいだ。優しさも脆さも強さも、恋人を作る要素すべて、ひとつだって欠けたらだめ

ふとしたときも、そうじゃないときも、だいたいいつも恋人のことが頭をよぎるし、開いた本の失恋物語も、いつか自分が体験するのかもしれないと思うと泣きそうになる。春の夜に観覧車にも乗りたいし、ワインを飲みながらずっと話していたい。私がおばあちゃんになっても手を繋いでほしいし、私の25歳の春も夏も秋も冬も、どんなシーンにもそこに恋人がいてほしい。毎日台風で、布団の暗がりの中で生きていけるなら最高だ、いっそ猫になって隣で丸くなって眠れたらどんなに幸せだろう、そんなことを思うほど、この恋を失うのが怖い。


早く夏が来てほしい。だってまだ夏の夜にアイスを買いにコンビニまで散歩したことないから。もしもこの恋が終わってしまったとしても、きっと私は何度も、幾つになっても、最初に恋人の部屋に行ったあの夜と、展望台からの夜景のことを、思い出す。


ほら、結局、恋人に関して、言いたいことなんてまとめられない。

締めの言葉も見つからない。だからそれっぽいことを書いておこう。

「世界は広いけど、恋人がいる場所が宇宙の真ん中だ。」







意味

人間はとても勝手な生き物で、何に対しても「意味」を見出してしまう。起こる全てを都合よく正当化してしまうのだ。それは私も例外ではなく、自分の人生に起こること全てには意味があると思っている。なぜなら私は愚かな生き物だからだ。

大学最後の年に出会ったその人は、私に何度もこう言った。

「結末を正当化するのはやめろ。自分の望んだゴールに辿り着かなかったときに、これで良かったんだと正当化する奴は一番愚かだ。そういう人間は絶対に成功出来ない。成功する人間は望むゴールをしっかり見据えて、そこから論理的に逆算している。そうすれば自分が取るべき人生の選択が見えてくる。ゴールから逆算しろ。辿り着いた場所が自分の人生だと思うな。そんな大人になるな。」

22歳の私はまだ本当の社会を知らなくて、おまけに誰が見てもその人に心酔していたから、その言葉を真摯に自分の人生に組み込もうとした。それが仕事や課題ならよかった。締切のある仕事や短期間の目標に対して「逆算」はとても役に立つ。なぜならゴールが明確だから。けれどその人は「人生を死から逆算しろ」と言った。死なんて、いつ訪れるか知る由もないのに。だけどその考えに私は共感したし、その言葉に気付かされたことは多い。

そして卒業してもその考えを強く抱いていた私は、次第に思い描いたゴールと離れていく自分に対して「私は人生に失敗しているのかも」と暗く不安な気持ちを抱き始めた。そんな時、「いやいや、でも今は今で・・」と思いそうになれば、脳の中で「今を正当化するな」という言葉が聞こえてきて、その度、自分に言い訳をして今を正当化しようとする自分を弱くてずるい人間だと思った。私を奮い立たせていた勇気の言葉は、いつしか私を追い詰める呪いに変わっていた。私は自分がその人が蔑む「そっち側」の人間になってしまったのだと落ち込んだ。だからその人に何度「飲みに行こう」と言われても、今の自分に自信が持てずに、適当な理由をつけては断った。

今はどうかというと、もはや描いていた「社会人2年目の自分」がどんなものだったかもあまり覚えていない。この2年間、予想していないことばかりが起こった。気持ちも、世界の見え方も、毎日変わる。最低な1日があれば、最高な1日もあって、浮き沈みの激しい自分に苦しむ日々だ。全然満足いかない現状が、どうしようもなく嫌になったり、なんでもない休日の朝がどうしよう…

自分を知る事

私が人生に望むことは単純だ 幸福だと感じる瞬間をなるべく多く持つこと
わっと新しいアイデアが頭に浮かぶとき 海外の土地で何か分からないけど美味しいものを食べたとき 良く晴れた初夏に海沿いまで朝ごはんを食べに行くこと (ああ食べることばっかりだ) 新しい出会いの中にある期待と緊張感 新しいことが始まる予感に胸がときめくとき 好きな人が新しい世界を見つけたときの目の輝き 無限なようであっという間に終わってしまう若さ 脈絡なくこみ上げる愛しさ ごくたまに訪れる穏やかな気持ち まっさらな希望を抱ける春の朝 満月を見上げて帰る夏の夜 澄んだ気持ちを抱えて眠る大みそかの夜 魂に真っすぐ届く表現に触れたとき 考えるより前に心の琴線が震えるとき 自分が生きている意味をなんとなく感じるとき
望まないことも分かってる
薄い関わりの人間関係の中で過ごすこと 新しい出会いのない日々 脳と身体がばらばらなこと 心の筋肉が衰えていくこと 感じる取る力が弱くなること 自分の言葉をなくしてしまうこと 美しいものに触れられない日々 同じ場所にじっととどまっていること 成長のない関係 考えることをやめてしまった人々との関わり 価値観を更新できない人々との関わり 海を見れないこと 月を見れないこと さほど好きではない人と長時間過ごすこと 1日の中にある天気の変化を味わえないこと 肌や呼吸の感覚が鈍っていこと 自分の人生に自信を失ってしまうこと
望まないことが増えていくと 私は「消えたい」と思ってしまう 死んでいくスピードが速くなっているような 生きるスピードが滞っているような 自分が空っぽになってしまった気がして不安になる
だから望むことを一つでも多く叶える
叶えていかないとあっという間に飲み込まれてしまう

ラジオから流れたバッハのガボットを聴いて、幸福な幼少期と山の朝の澄んだ空気を思い出す。

夜中に押し寄せるのは嗚咽でも怒りでもなく、どうしようもない不安。「消えたい」と呟く意味も相手いないのに、呟いてみる。

誰も私を知らない土地で、心地の良い緊張感とひんやりとしたホテルのシーツに包まれるのが好きだ。

昨日の私は死んでしまった。今日の私としか目を合わせられない。朝になれば、春になれば、そうやってい自分に都合の良いおまじないをかけても仕方ない。願っても願わなくても。今日は当たり前に消えていく。

変わることは強さ

毎日をもっともっと味わうように生きる。
「好き」の輪郭をもっと濃くする。
すきま風みたいに入ってくるノイズを
どうやったらはね返せるか毎日試行錯誤してる

でもやっぱ、「好き」で固めるのが最強だ。
絶対、自信をなくしちゃいけない。

キャリアの年数も、華やかさも、私に備わってないものより、私にある強さをもっと伸ばしていきたい。毎日変われる。毎日1つ変われば、1ヶ月で30こ変われる。

終わった昨日はもう戻らないから考えるのはやめてしまおう。今と、明日。これから。それだけ。




2017年に起こってよかったこと。

「今年を漢字一文字で表したら疲労の「疲」しかない」 昨年末、友人や家族と1年を振り返るような話になったとき、私はそう言った。
いつも狂ったように「前向きでいたい!」と自分を鼓舞して生きている人間の私にとって、こんな発言を自らするのは本来屈辱的なはずだったけれど、私の心情はいたってフラットだった。
だって、疲れたのだから。
それはこの1年の否定でも肯定でもなくて、ただただ、私が抱える事実だった。
2017年の元旦の夜の私には未来への期待しかなかった。 「今年は絶対変わるんだ、毎日をキラキラさせて夢に邁進するんだ」 という炎のような野望を抱いて、それを燃料にしてやみくもに前へ前へと動いた。
元旦の日も、寝正月なんてするもんか、と「今から初詣行こうよ!」と日も暮れたころに地元の親友を呼び出して鶴岡八幡宮で初詣へ行った。人生で初めて書く絵馬には「人生を自分で切り開く」と書いた。それから夜遅くまで鎌倉のカフェで互いの近況と今年の抱負を語り合い、帰路につくころにはすっかり心のエンジンがかかっていた。
家までの道を月を見上げて歩きながら、ふと「今年の一曲を決めよう」とapple musicの曲をシャッフルした。シャッフルをタップして、間髪入れずに力強いピアノのイントロが流れた瞬間を、私は一生忘れないと思う。
その一音目は私の脳天を直撃して、脳と心を震わせた。
思わず立ち止まって目を見開き、息を飲むほどその曲との出会いは衝撃的だった。
「素晴らしく好きな曲に出会ってしまった」と思った。
その夜書いたブログも残っている。
2017年最初に書いたブログ
そもそも、その曲をダウンロードしたのは「スターウォーズ・ローグワン」を見に行った日本橋の映画館に貼ってあったポスターにやっぱり同じような衝撃を受けたからだった。
「何このポスター、好き!」と思って、サントラをダウンロードした。それを初めて聞いたのが元旦の夜だったのだ。
親友との楽しい会話の余韻と、リズミカルな美しい音色、空には月や星が輝いていて、元旦の夜の澄んだ空気からは幸福と希望の匂いしかしなかった。駆け出したいほどの高揚感を抱いて、私は「最高の夜だ、最高の1年にできる」と確信した。お酒も入ってなかったし、恋人とも別れたばかりだったけれど、最高に晴れやかな気分だった。
だから疲れたのだ。
まるで思い通りにはいかない1年だった。 挫折…