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Showing posts from May, 2018

おなかが空いたから帰りたい

ふつふつと煮えたお湯、あちちと触る耳たぶ、半熟卵、とろりとした黄身、ひんやりマヨネーズ。文字面だけで楽しくてわくわくしてしまう。食べることは楽しい。何の為に生きてるんだっけ?とかそんなことを考えなくてよくなる。美味しいご飯を食べているとき、私はそのために生きているのだと思える。食べることは生きることだ。食べ方が粋な人は生き方も粋かもしれないし、見栄っ張りな食べ物ばっかり選ぶ人ってやっぱり見栄っ張り。食べることに無頓着な人は生きることにもあまり執着してなかったりする。(これは食べる量の話でもグルメかどうかとかそういうことでもない)
近頃変な食べ方をしなくなった。ちゃんとお腹がすくし、心と食欲はしっかり連動している。朝は食べないことが多いけど、ミルクとガムシロップを一つずつ入れたアイスコーヒーと無塩のトマトジュースがあれば十分だ。昼は自分で作ったご飯を食べるのが好きで、ちゃんと切った野菜や手作りのドレッシングを食べていると、自分が自分を大切にしていられることに少し安心する。夜は誰かが作ったご飯が食べたい。レストランでも、家でも、どちらでもいいから、ちゃんと火と気持ちの通ったご飯を食べると「今日も頑張ったね」と言われているような気分になる。出来ればあたたかいものが良い。休日の朝は手間暇かけたい。一晩卵液に漬けたフレンチトーストを焼いたり、丁寧にコーヒーを入れたり。朝をゆっくり過ごせる贅沢を味わい尽くしたい。そのあと二度寝するのも大好き。
食卓は生活で、帰る場所で、出かける場所だ。少し前まで恋人の部屋には食卓がなかった。背の低いガラステーブルにお皿を並べて、クッションに座り(もしくは正座)、テレビを見ながらご飯を食べていた。私はそれが嫌で、「ご飯をちゃんと食べたいし、食卓ではちゃんと会話がしたい」とぼやいた。するとしばらくして、恋人はソファーをどこかへやってしまった。一人暮らしのそう広くはない部屋だけど、ソファーが消えるとがらんとして広く見えた。だけどすぐにそこに背の高いテーブルセットがやってきた。椅子がふたつ、向かい合って座ることも出来る。そこにテーブルマットをひいて、恋人が作ったカレーを食べた。すっごく胃に沁みた。瀬尾まい子さんの「幸福な食卓」のワンシーンみたいだとか思いながらもぐもぐ食べた。平日の朝は私が何も食べないので、私が低血圧に苦しんでいる間に恋人は食卓でわりとし…

心が動くままに

ゆっくりと心が死んでいく。心の筋肉が衰えて、代謝が下がって、動かしたくても動かせなくなっていく。季節は気付かない間に過ぎて、老いは突然にやってくる。静かな絶望。逃げられるのに逃げない私は、一体何に期待をしているんだろう。いや、何にも期待できないから、逃げる事すらしないだけだろうか。「好きなことを仕事にしなさい」と謳う人がどんどん増えている。じゃあ私の好きはなんだろうと考えてみたときにもう、好きを感じられなくなっていたら、どうしよう。ここには何も、欲しいものがないよ。それだけ分かるなら、好きなものを探しに出かけようか。出来れば君にも一緒に来てほしいけど、これは私の人生だから、私は一人で決めなきゃいけない。誰も守ってくれないことを私はまだ認めることができない
海に溶ける夕陽が見たい。緑が朝露に濡れる匂いを体いっぱい吸い込みたい。旅に出て心を弾ませたい。不安になったり、切なくなったり、明日に心をときめかせたりしたい。
誰に強いられたわけでもないのに、どうして自分の生き方ひとつ、自分で選べないんだろう。

おばあちゃんになるまでやりたいこと取っておくなんて出来ないよ。私、ショートケーキはイチゴから食べたい。

明日消えてなくなってしまうなら、私は私が綺麗だと思う世界の全てを言葉をのこしたい。

5月とは思えないほど冷え込んだ朝に、私も季節違いの夢を見た。 懐かしい人の夢だった。 妙に冴えた起き抜けの頭で、あの日々を思い出していたら、出会ったときのその人の年齢を自分が数年前に超えてしまっていたことに気付いた。最後に渡した手紙を、今でも持っていてくれてるんだろうか。私はたった一言以外、何を書いたかは忘れてしまったけれど。